マルクス

 第2章は「ユダヤ人問題によせて」「経哲草稿」のあたり。相変わらず難しく、ひっかかるところもあるが面白いよ。とりあえず、ここを引用。

生の本質を規定して、生を最初から情動的なものとして構成している存在論的受動性においてそれらの諸様相は生起するがゆえに、そうした諸様相はそれ自体、情動的なものとして、もっと正確に言えば、苦しみとしてまた喜びとして、そして両者の絶えざる「移行」として現われ、示される。ものとして苦しみの本質は、生の受苦が分かたれることのない内在の十全性と内在自身の充実の経験における生の根源的な自己所与性であるかぎり、正反対の規定の可能性と本質、苦しみの喜びへの絶えざる転化の可能性と本質、を含んでいる。弁証法の根源的本質は生のうちにあり、それというのも、生がそれ自身のうちに、それの基本的な情調性のア・プリオリで純粋な可能性、およおびそれとともにそれら情調性の相互転化の可能性を含んでいるからである。

マルクス―人間的現実の哲学 (叢書・ウニベルシタス)

マルクス―人間的現実の哲学 (叢書・ウニベルシタス)