立川談春独演会

 本日は、立川談春独演会である。仕事の疲労プラス寝不足で、アタマがぼーっとしそうになりつつもなんとか遅れず会場へ。おしゃべりのうるさいうしろのお婆ちゃんを注意して、周囲の暗黙の支持を受けたが、しばらくしたらうしろからいびきが聞こえてくるなか、開口一番の立川春吾の話は帰り際にタイトルを確認し損なったが新作で、談春はそのあとけなしていたが、けなしていた部分が聞かせどころになってるからそう悪くはないと思う。で、談春師は中入り前は「天災」、演出だとは分かっていても、紅羅坊名丸が八っつあんに言い負かされそうになるという展開は、この人ならではの出せる味だと思う。よく知った噺なのに最後は爆笑していた。
 中入り後は一席というので何をやるのだろうと思ったら「百年目」。志の輔、三三を聞いたあとで談春の「百年目」はどんなものかと。で、いわゆる聞かせどころでは勝負しないというかもっと別のところとに力点を置いてるみたい。てらいか、自分でもそう言ってたけど、最初の番頭のいびりを強調して、番頭の眠れない一夜も丁寧にやる。そうすると中年の番頭がガキみたいになるのがまたうまいと思う。
 で、主人と番頭のやりとりへ持っていく。で、ここでは「百年目」で落とさずに別のサゲを使うんだな。えっと思って、これはモトを知っている人間としてはどこへ持っていくんだろうと考えずにはいられなくなり、さらに聞き入ってしまう。うまい展開だと思う。三三が「後一年」というときはどう考えても不自然だと思ったが、これなら不自然だとは感じさせない。肩たたきとかもうまい細工だと思った。終わった後に余計な能書き垂れてたけど、談春のこだわりはとてもよく分かったし、これはありなのだと思う。
 一方、そもそも、これくらいの店なら番頭ひとりなわけないよな。と、志の輔以上に、大店らしさがいま一つ感じられないというのは残ってしまう。もっとも、でも、それって米朝以外に期待できるのかという話もある。本人は完全にそれを自覚してると思う。
 まあ、あとからいろいろ理屈はこねられるが聞かされてしまったというか、堪能できたのはたしか。それから、ちなみに番頭の年齢は47歳で談春と同じ年にしてあり、師匠を亡くして独り立ちしなければならない自分をこの番頭に重ねているんだろうなと。「天災」のマクラにふったマクラが生きてくる。このあたりで一人立ちという意味では、自分はどうなのだろうととか思ってしまったりもする、いろんなところで感じ入るネタではありました。今年はさらに名古屋でも30周年記念の独演会がある。さて、お仕事は私をホールへつかわしてくださるだろうか?

赤めだか

赤めだか

立川談春“20年目の収穫祭”

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