戴震と中国近代哲学

 ちょっと気分転換に、では失礼かな。少し中国思想史のおさらいもしたし、著者から「そんなに難しいか」と反問されたので、とりあえず冒頭を読み返す。そうすると、骨子は「戴震の哲学」という読解の枠組みは清末以降に作られたものであるから、こうした以前に遡って戴震の「宋学/漢学」を吟味しながら思想史を再構成しようという試みだと考えればよいのだな。スミマセン、不慣れな言葉が多すぎて趣旨が汲み取りにくかっただけでした。これは面白いし、野心的な試みだというのもよく分かる。では、この先どうなるか。まあ、おりを見ながら少しずつ読み進めまする。

戴震と中国近代哲学: 漢学から哲学へ

戴震と中国近代哲学: 漢学から哲学へ