立候補

 源ちゃんが某論壇時評で紹介していたドキュメンタリー。あらためてそれ以上に書くことはないような気もするが、『A』(とりわけ2作目)を見たときのような、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。なぜ、いわゆる「泡沫候補」はお遊びのようなパフォーマンスに走るのか。おまけに金持ちで60すぎと来てるし。でも、この人たちマジなのだ。実際のところ、彼らが真面目に政策を語ったところでどれくらいの人がそれに耳を傾けるだろう(このブログみたいなもんですな)。簡単に自分の言葉を届ける仕組みを持っている人間と持っていない人間とでは雲泥の差があるのだ。もっとも、前者に自分の言葉があるかどうかはまた別の問題であるが。そうすると、まずは自分たちが注目を浴びるしかない。しかし、そうすると、道楽のように見えるパフォーマンスの悪循環が始まってしまい、その先の言葉にたどりつけない。しかし、安倍ちゃんの演説会場にあらわれて、「帰れ」とか「ゴミ」とか支援者から罵声を浴びながらも、平静を保ってそれを受け流せるマック赤坂がただの道楽でやっているとは思えない。彼にはその手の罵声を受け流すだけの確信があるはずだ。しかし、その中身が何なのかは見えてこない。彼らが本当に「泡沫候補」なのかどうかは、まず、その言葉に耳を傾けることから始まるし、また、聞く方もそれだけの言葉を手にしておかなければなるまい。
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