レーヴィットの段階でも、この程度のことはすでに確認されているんだよな。また、ゴッフマンにだってみられると言ってもよいだろうに。どうして、---。
一者は、閉ざされた個人としてすべてをなすのではなく、ペルソナとして、すなわち或る「役割」を有したものとしていっさいをなすからである。一者が「私たち」という意味では明示的に語ったり、行為したりしない場合であっても、一者の役割は、他社への関係によってすでにそれ自体として、一者に割り当てられているいうものなのである(193頁)。
両義性が回帰するのは、ひとがかかわる者がそれ自身またその者自身にかかわるからである。一者のふるまいにもとづいて、他者はその者に立ちかえる。こうした往還、ふるまいにおけるこの交代は、とはいえその意義からして、両者の振る舞い
代わる代わる一方から他方へと移されてゆくことには還元されず、それぞれのふるまいを、それ自身においてあらかじめ変容させている。一方のふるまいが他者のふるまいを目ざしている場合、他者のありうべき応答的なふるまいをあらかじめ見こして、一者は他者にふるまっている。他者が一者自身へと立ちかえることが、一者の意図的な立ちかえりにはじめから先んずる傾向を動機づけているのだ。じぶんのふるまいは、したがってたんに、他者に向けられているばかりではない。同時に他者にしたがっている。ふるまいは、あらかじめ他者にあわせて裁断されているのである。他者に対する自分のふるまいにふくまれる、原初的な両義性が回帰するのは、したがって、一者が(他者に対して)みずからふるまうさいに関係に対して関係するからである。ふるまいにおいて関係に対して関係するとは、私に対する他者のありうべきふるまいを、私があらかじめ考慮に入れて、或る他者にふるまっていることを意味する(194頁)。
そして、このあと会話の例が延々と引かれる。
- 作者: レーヴィット,熊野純彦
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