自己の治癒

 自己ー自己対象関係における移行に伴う「自己の堅固さの増大とは、自己対象を選択する際の自由度が増大することも含め、自己を支持するたえに自己対象を利用する自己の能力を高める」(114頁)。鏡映する自己対象との融合や理想化された自己対象との融合、双子融合(分身との融合)に代わって*1、鏡映する自己対象や理想化可能な自己対象を探し出し、そこから活気づけられるためには、中核的自己ー評価と野心を、そして理想と目的を保持していなければならない。そして、共感的共鳴という支持的な反響がこの世界で手に入る。宮台真司の誰かに憑依する体験が必要というのはこの手の話を意識しているかもしれないな。
 また、「原始的な自己対象との原始的融合状態から、自己と自己対象との間の共感的共鳴の絆の確立へと向かう健全な動きは、意識の拡大(局所論にしたがえば「意識に上るということ」)と自我の領域の拡大(フロイトの心的装置の理論)とをしばしば伴うのであるーつまり一次過程に対する、すなわち形式的退行のさまざまな水準での前意識的かつ意識的な言語的イマーゴと幻想に対する、二時過程の優位、とくに言語的思考や言語化の優位をしばしば伴うのである」(111頁)。
 この点で興味深いのは、「見抜かれない嘘は分析中には自己ー構造の構築にほとんど貢献しないけれど、嘘をつくことは一定の自己愛パーソナリティ障害の患者ではときに特別な役割を果たす。成人の被分析者が自分の自己を強化しようとーそして嘘をつくことで個人の自己に権利のあることを表明しようとー努力するという文脈では、その嘘の意義は、子供が第一に堅固な自己を確立しようと努力しようとする文脈のなかで理解されるところのあの見抜かれない子供時代の嘘の意義と、類似のものとみなせるかもしれない」(107頁)。
 言い換えるなら、原始的な融合状態から生み出される安心感に依存することかあら、現在の現実における人間的環境から被分析者が引き出す共鳴によって用意される安全感に依拠するようになる間に位置づけられうると。この辺、エリクソンとかぶりそう。でも、逆に言えば、これは嘘をつくということが、その場面を自分のものとしてコントロールし、自己防衛をはかろうとする行動化ともみることができるわけで、いずれにせよ。虚言癖の意味が少し分かる感じがするな。
 

自己の治癒

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*1:よく誰かのマネをしたがる人っているし、自分をスゴいと思いこんでる人もいるし、誰かとつるみたがるヤツもいると考えればよいのかな。