中世的世界の形成

 この本を出先で読む本にしたのは大失敗だった。もう3ヶ月たとうというのに読み終わる気配がないというか、この本がカバンに入っていると車中で読もうという気にならない。やはり新書ぐらいがいいな。名著と言われるこの本、内容的にも出先でちょいと読めるような本ではない。しかし、私にとっては余技の余技ぐらいでいじっている領域なので扱いに困るところである。というわけで、今後週に一回程度はこの領域の本のために時間をつぶすのと許すことにした。
 で、全体の概観もなく始まる本、いったい何のために、東大寺による公領の寺領化などという話がでてきたのかと思ったが、半ばまで来てやって全体像が見えてきそうな感じである。「国衙東大寺と私領主との相剋においては土地所有権が争われたのではない。人間に対する所有権を誰れが把握するかが根本問題であった」(87頁)。というわけで、東大寺が寺奴が耕作する公領を寺領化しようとするわけだが、これは律令制の、つまりは古代的論理にのっとっていた。「以上の考察によって平安時代の段階にあっては奴隷に対する支配権は、その保有する宅地と畠地に対する領主の独占的支配と密接な関係をもっていたことが推測されよう」(125頁)。
 で、ここから一歩進むと、「国衙領・荘園を問わず、名主によって構成されていた村落の内部からは必然的に代償の領主を発生せしめたのであって、それらの領主は規模こそ異なってもこの時代の政治的環境の下の族的団結をなし、それぞれが独立の武士団を形成していた」(176頁)。「平安末期における小明内の優勢な地主層は、「名」の規模に示されるよりは遙かに成長していたと考えられる。かく名主層の成立は階級文化による必然的にその内部から領主層を成立せしめて来るといういう点で大きな歴史的意味をもったのであるが、その意義は非名主的な階級すなわち領主を生み出したことにあるのであって、名主層自体は一箇の政治的勢力として登場することはできなかったのである」(185-6頁)。
 というわけで、在地領主としての武士団の形成が、中国と比較されながら、アジア的専制から逸脱としてマルクス主義的な評価を受けることになるわけですな。しかし、本筋は面白い。「領主階級の族的結合は襲来の支族的結合と同じく独立的な家族の結合であって、結合の主体が個々の家族にあるということである」(196頁)。
 

中世的世界の形成 (岩波文庫)

中世的世界の形成 (岩波文庫)