自己の修復

 この部分とか、前著との関連性をうかがううえで参考になりそうな一節かな。

欲動固着ならびにそれと関連した自我の活動が生じるのは、自己の弱力化の結果である、といえる。反応されることのない自己はその原始的誇大性と、全能的自己-対象への融合という原始的願望とを、確かな自己-評価、現実的野心、達成可能な理想に変形できずにいる。欲動と自我のこの異常性は、自己におけるこの中心的欠陥の病状的側面である(64頁)

 で、子供にたいする共感的共鳴が重要だと。まあ、親に相当する人物は子供にあわせる感性がいると。というわけで、自己よりも自己-対象が問題だと。ほとんど、対象関係論でいいんじゃないかと思うのだが、コフートはかならずしも「ほどよい母」という発想を積極的には評価してないんだな。

正常な環境のもとでは、子どもの心理並行が乱されると、その緊張感は自己-対象によって共感的に感知され、反応される。子どもの欲求を現実的に評価し、それに対して何をするべきかを現実的に認識できる成熟した心理組織を備えた自己-対象は、子供のを自分の心理組織のなかに包み込み、そして子供の恒常性の不均衡を改善するように行動するだろう(67頁)。

 それから、「自己愛憤怒」。要するに、いくら理に適わないことでも、相手を自分の思い通りに動かそうとして、そうならなければ相手を非難し、癇癪をおこすということだよな。

子供の不安定にしかできていない自己はその凝集性を保つために自己-対象のほぼ完璧な共感反応に頼っている。自己の発達段階と調和して、子供は、自己-対象の反応を完全にコントロールしようとする。自己-対象によって提供される理解の内容という点でも、また、人生初期の自己にとって期待される規範であるところの最適条件からの逸脱によって生み出される外傷的効果と完全な同調を求めるという点に関しても、子供は完全な共感性を要求する」(71頁)

 読んでいくとちょとこわいな。そんな調子でいいのかなって思う親子関係見かけることって結構あるような気がするから。
 

自己の修復

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