林羅山が参照するのは吉田神道であるが、これは和辻も述べるように儒教等々の影響も大きいし、神社・神道への信仰を引きつけることで、伊勢神道同様(というか、伊勢神道への対抗的に生じたもののようだが)天皇尊崇よりも神社、神道への信仰に傾斜がかかっているように思える。山崎闇齊の垂加神道は吉川神道に由来するということになるようだが、これは吉田神道の傍流でさらに儒教の影響を受けたものと考えてよいようだ。一方、中江藤樹も山崎闇齊も伊勢神宮の存在を視野に入れている。もう、私には手に余る領域だが、一体神道と天皇尊崇の感情というのはどれほど連続するものなのだろう?
日本民族としての統一意識を保持し、それを伊勢参宮などにおいて表現していた。そういう民衆の意識がここに反映しているのである。それは武士の支配を儒教によって根拠づけようとする幕府の政策とは相容れない(237)。
しかし、官学化した羅山だって儒教と神道を結びつけようとしたんだよな。よく分からん。
- 作者: 和辻哲郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/08/19
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (8件) を見る