愛される方法 

 本日、一本だけ自分にお許しをだすことにした。でも全部みたいなー。ともかく、戦時中のポーランドで自分が愛する男をかくまうために犠牲になるが戦後には成功する女と、そうやって生き延びたことで英雄になりそこね戦後落ちぶれていく男(それを「灰とダイヤモンド」の彼がやるのである)の物語である。女にとっては男をかばうことはレジスタンスであると同時に決して報われない愛であり、男にとっては自分がレジスタンスの英雄とみなされながら、実はそうじゃなかったという事実を一人で抱えて生き延びようとすることである。この互いにまったく異なる葛藤を埋め合わせることは出来まい。だから、戦争が終われば二人は失意のうちに別れるしかない。
 だが、決定的に異なるのは、二人が自分に忠実に生きたかである。忠実に生きた女は男のために名誉を犠牲にしたが、それでも戦後まもなく復権し「英雄」となるが、戦場の「英雄」は忘れ去られる。生き延びることで「英雄」になりそびれたと女をなじるのは男の方であり、男は女の前で惨めになるばかりである。女はそれでも構わないと腹を括るだが男は死を選ぶ。
 しかも、これがすべてフラッシュバックで描かれ、現実に進行していくのはこの女が隣の男とたまに語りながらすすんでいく飛行機の旅である。その過程で、女は男の抱えるものを見ぬけず、男は見ぬけてしまうのは象徴的である。愛は盲目というけど。わりと素朴に見られる面白い映画だと思って、構成を振り返って見たら結構複雑だ。彼女は、自分が愛されたい唯一の人物から愛されることがなかったのだが、国民から愛されることになったのだった。