以下の指摘は鮮やか。milieuを風土と訳すのか。ところで、原著の索引は省いたというけれど、これだけの暴引傍証をやっているのだから、人名索引ぐらいはつけて欲しいな。
そのメタファによって、日本文化は「主体として」、文化自体のうちに、その固有な環境をやはり「主体として」生起させる。このようなプロセスこそ、まさしく和辻哲郎の予感したものであり、その点においてこそ、『風土』は、そこに見られる決定論めいた多数の誤謬にもかかわらず、啓示的な意味を持ち続けるのである(67頁)。
他方、高橋文博の「和辻哲郎の風土論」では、和辻の風土論の変遷をおってこう述べている。「和辻の風土理論を一貫する主体の客体対立の否定すなわち主体の客体化による人間存在の個性の解明は、その主体化の他面たる客体の主体化を軽視することの故に、個性の変容に従って人間存在の時間性歴史性の問題とよく接合し得ないことになったといえよう(23頁)。
とても、よく分かる指摘。『風土』でも『倫理学』でも出だしは分かるのだが、どうしてその話がこのように展開していくのかちっとも分からないんだよね。原理的な理屈はともかく、議論は多分に決定論的性格を帯びているのだ。
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