倫理学
最後の「国民的当為の問題」はどう読めばいいんでしょな。とりあえず、家(族)ならびに国家に結びつけられる忠孝のような道徳は相変わらず忌避され、忠孝に「国民的統一の意識とかかわるところ」(294頁)はないと「公共道徳の未発達」が指摘される(247頁)。このように和辻は忠孝を国民道徳から抜こうとするのだが、一方で「皇室を宗家とする家族国家」のような物言いは国民感情のレベルでは許されるとしており、だが、学者のレベルではこんなメタファーは許されないということになるらしい。いずれにせよ、「公共的なもの」を体現するのは天皇である。なんか力点変わってないかという印象は残る。
文庫版三巻冒頭は、中巻に相当する戦後の改訂版であるが、「従って我々は真に忠良の臣民たるがために家族より地縁共同体文化共同体に至るまでのあらゆる人倫の道を実現しなくてはならない。すなわち我々は孝をつくつことにおいて同時に忠をすくすのであり、また恭倹己れを持することにおいても忠をつくすのであって、決して義勇奉公においてのみ忠をつくすのではない。天皇はその臣民が人倫の道を踏むことを欲したもうのでありう、従ってこの御心に添いまつることが忠をつくすゆえんとなるのである」(55頁)とある。つまり、それ以前やそれ以後では退けられている、「忠孝」がここでは正面切って説かれているのである。しかも、そこで「羅針盤」となるのは「教育勅語」であると言われる。
こうやってみると、『日本精神研究史研究(正続)』や『倫理学(下)』や『日本倫理思想史』を見れば和辻は戦前も戦後も一貫していると言えそうなのだが。改訂版でみても『倫理学(中)』にはこの連続性とは異質なものを感じずにはいられない。あるいは、和辻にとってあの戦争とはなんの戦争だったのだろう?『続日本精神史研究』でも和辻は明治憲法の政治的な天皇と、教育勅語の国民的自覚をあらわず天皇を区別し、後者と忠孝の類を結びつけることを否定しているのである。
あと、ふと思う。和辻と北一輝のあいだになんらかの接点を見つけようというのは筋違いかな。北は和辻が『倫理学(上)』を出版する頃には死んでいる。ちなみに刊行年を確認しておけば(上)1937、(中)1942、(下)1949である。ついでに、こういうことを考えるうえでちっとも役に立たない文庫版解説とは如何なものであろう?
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