オープニング・ナイト

 舞台がはねて、控え室でウィスキーをぐびぐび飲んで、出待ちのファンたちの待つ劇場の外に出る。そこで、しつこくまとわりつく若い女の子にサインをして、仲間と車に乗り込み、それでも付きまとうその子は、車が出た後に他の車にはねられる。
 この冒頭のシーンをみただけで、ジーナ・ローランズとそれをとりまく面々の演技に引き込まれてしまう。いま思うに、10年以上前になる初見のときに自分がこの映画をさして理解できたとは到底思えない。いまでも断言できないけど、だから、また見る価値もある。
 冒頭は舞台の後に酒を飲み、オープニング・ナイトでは開演前に浴びるほど酒を飲んで自分を殺して現れる。酒を飲んで自分を殺す意味が全く正反対になっている。しかも、冒頭の舞台が終わって老いている自分を飲み殺した後に、自分をおいかけている(同一化している)若い娘が死ぬという始まりがとても効いてる。
 今あらためて見ると、この映画女のアラフォーを扱った映画なんだよね。女優一本で生きてきて、子供はおろか結婚もしていない。でも、確実に老いは迫ってくる。
 しかも、俳優は、役を演じるだけでなく、舞台上で演じている役も演じなければならない。ところが、彼女が演じなければならないのは、まさに自分がおかれている状況そのももなのである。
 彼女は女優としてもう若くはない。が、それだけのキャリアを積み名声を得ている。そんななか、そうした老いを迎えつつある役を演じなければならない。つまり、舞台をつうじて自分自身が引き受けなければならない問題を引き受ける演技をしなければならない。
 しかし、リアリティがないと言い張るジーナ・ローランズ演ずるヴァージニアは、それを受け入れることができず、舞台上でアクティング・アウトしてしまう(それにしても、英語って面白くできてる)。それが、日常生活にも及び、それが舞台にどう回帰してくるか。最後に、ちょっとだけコロンボもでてきます。
 こうみてくると、父殺しもあるけど、自分のなかの小娘殺しというのもあるのだなとう思う昨今。しかし、小娘殺しができない女性陣を私はやまほど知ってるよ。男の方はどうなんでしょうね。私は酒を飲んでどちらを殺しているのだろう?

オープニング・ナイト [DVD]

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