鏡像段階
予定変更して、おさらい。
主体という構造という観点にたつとき、鏡像段階は発達の基本的時期を画するものである。すなわち自我の最初の輪郭を形づくるということである。実際、幼児は、同じ姿をした人間の像や自分の像のなかにひとつの形態(ゲシュタルト)を見て、その形態のなかにこれまで客観的に彼に欠けている身体的統一性を先取りする。そそて、そこに「歓喜」が生じるのである。つまり幼児は、その像と同一化する。---。この観点に立てば、主体が自我に還元されるべきものではないことは明らかとなろう。なぜなら、自我とは想像的な審級であって、主体はそこでは疎外されてゆく傾向にあるからである。
ラカンによれば、主体間の関係とは、それが鏡像期の影響をうけているかぎり、想像的かつあ双数的関係であり、攻撃的関係に通ずるものである(78)。
ついでに、去勢コンプレックスも「女児では男根のないことを不公平だと思い、これを否定し、代償し、または修復しようとする」。「父親の代理者はさまざなな形であらわれる」(87頁)。「男児の場合に限って考えれば、去勢コンプレックスのフロイト的見地の逆説は次のように表現できるであろう。幼児は母親にたいする欲望の道具としてのペニスの使用を禁止されないかぎり、つまり去勢の危機を通過しないかぎり、エディプスを克服して父親との同一視に到達することはできない。去勢コンプレックスは一定の使用への権利が常に禁止と結びついているという文化的秩序と関連がある」(90頁)。
さて、ラカン、フロイトでいつも私を躓かせる去勢話(だって、去勢されてない女なんて表現不思議でしょ?)、私の失われた十年を振り返るなかで、より具体的なイメージを与えるものとして理解できるようになるだろうか。なんかなりそうな気がしてるのよ。どうもいろんなことを思い出すにつけ、去勢されてないということがどういうことか分かるような*1。いずれにせよ、この本は必携。
- 作者: ジャン・ラプランシュ,J-B.ポンタリス,村上仁
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1977/05/17
- メディア: 単行本
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*1:たとえば、こういう話と結びつけてもよいのかな?http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20100310/p1