A friend in need is a friend indeed

やはり、こういうときは基本にもどりましょう。信じて裏切られるのと、あたまから人を信じられないのとでは、自分の人生にとってどちらが好ましいだろうか。見方を変えるとはっきりするが、やっぱり、さびしいのは自分を信じてもらえないときだよね。このいくつさき世界が信じられなくなる。しかし、誰かを信じるかぎり自らが傷つく可能性を避けられない。そうすると、この問いは、自分が傷つく可能性と、絶対傷つかない場所に身をおくのとではどちらがよいでしょうという問題におおよそ書きかえられる(自戒も含めつつみなさん傷つきたいくない症候群に陥りがちではないか)。私の結論は、自らが傷つく場所に身をさらして生きる他はない(といって、過剰に傷つけられればそれはそれで問題なわけだが)。これまでもそうしてきたし、これからもそうしていかざるをえない。自分が傷つきうるということは、他人を信頼しようとするからこそであり、それを受け入れられなければ、われわれが生きる世界の成立そのものが壊れてしまいかねない。だから、選挙の結果も。時間を作ってこの問題、別の観点からおさらいしよう。

これバカラックなんだよね。
 

信頼―社会的な複雑性の縮減メカニズム

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幼児期と社会 1

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幼児期と社会 2

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自明性の喪失―分裂病の現象学

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アウシュヴィッツの残りのもの―アルシーヴと証人

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