ウィニコットの移行対象のおさらい。前著は途中まで熱心に読んだしるしが残っているのにあまりアタマに入っている形跡がない。まだ、私はこれを読みこなせる時期にはなかったのであろう。「一人でいられる能力は個人の中の心的現実に良い対象がいるかどうかによって決まる」(25頁)。逆に、いまならよく分かる気がするのも困ったものだな。
世話する者の反応は自分の統制下にあるという錯覚を幼児が抱くことができることによって、原初的な創造性は幼児に対して、何かを起こさせ、対象や反応を創造しているという、ごく早期の感覚を抱かせる。まもなく移行対象と移行現象がこの中間領域に現れ、幼児が最初の大事な所有物になる。定義上、母は所有されない。しかし、純粋にあふれた所有主であるという錯覚は、受動的な移行対象と関連して維持される。もちろん先に述べられたのように、移行対象と移行現象は、うまくいかば、同じように大事な象徴的な世界と文化的世界が発達することに向けての、第一歩の歩みにすぎないのである。原初の創造性と、移行対象と移行現象の体験、そして象徴的世界が、ほどよい仕方で進展し、次第に内在化されたときに、個人は、錯覚の王国でのみかつては所有されたいたものを内的にもっていること(owning)、つまり所有しているという深い感覚と完治することができる。ここで私は、自分自身の自己と心を所有し、統制しているという感覚について述べているのである(69頁)。
つまり、何でも自分の思い通りになるという錯覚から、自分が自分をコントロールして自己実現するという感覚を手にする過程の橋渡しをするのが移行対象ということでよいのかな。「移行対象は心地よくて、通常は柔らかく、本能には深くはかかわらない遊びに含まれていて、本質的に人間関係にかかわる前進的な発達過程の一部である」(93頁)。こうもある「患者が病んでいればいるほど象徴的等価や共生水準まで通常は達しておらず、前象徴的で、移行対象と移行現象の水準にとどまっている」(130頁)。この辺のウィニコットの話はメラニー・クラインの議論とどう絡むのだろうと思う一方、対象関係論がラカン派と親近性を持つというのはよく分かる記述だな。そして、カーンバーグの議論はこの延長上にある。
(追記)考えてみれば「かわいい」ものって移行対象になりやすいよね。
(追記2)当然、妄想分裂態勢に対応すると考えるべきだよね。
情緒発達の精神分析理論―自我の芽ばえと母なるもの (現代精神分析双書第II期)
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