私はこの記述に異論はない。しかし、問題がこの記述につきるとすれば、それは一方的だと思う。
なるほど、いのちの働きは、自己保全に向けて統合されている。しかし、そのようにして生きているということを、一人称で経験し能動的に制御する主体が成立すると、主体は生きようとするいのちの働きを忠実に執行するだけなのではない。むしろ主体は、「自分のいのち・自分の人生」の運営という視点から、いのちの働き方を制御し、場合によっては、いのちの働きを抑えにかかる。まさに、こうした制御ができるということによってはじめて、主体は、たんに生きているというだけというのではなく、生きる主体たりえている。ところが、そうした主体は、たんに生きているだけというのではなく、生きる主体たりえている。ところが、そうした主体による一方的な管理ゆえに、いのちの働きが、そしていのちの間の絆が、むしろ衰弱させられもする(136頁)。
いったい、われわれは普段どれだけそんなご立派な主体でいられるのであろう、自分が活動していく環境を操作する能力なんてごく限られたものではあるまいか。しかし、そのこと自体は決しては否定されてはならず、尊重されなければなっらないことではあるが。
- 作者: 大庭健
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