戦国社会史論

 藤木久志ってついでに読んでおくぐらいでもいいのかなと思ったが、どうもきちんと読んでおかないとまずいらしい。って、トーシローがそこまでというのはありますが、しかし、他の本を読んでも、在地領主とか国侍、名主層とかはっきり区別のつかない中間支配層を腑分けした研究はやはり藤木氏のそれになるようだ。しかし、これ、他のこともしながら、一日じゃ読み通せない。

いわゆる荘園制の壊滅とは、荘園領主的土地所有の全体系の廃棄や荘園領主権のの妥当を直接に意味したのではなく、農民たちの長期にわたるったかいの成果としての荘園領主的収取の停滞ないし後退、およびその凝固固定化した本年貢体系への高利貸や在地領主・農民諸階層の吸着寄生、荘園年貢の横奪をさしたものであり、荘園村落の農民の側からみるなら、その徴納者がだれであれ、本年貢公事は名体制をつうじてなんらかの形で農民自身の手からもぎとられ、農民が本年具体系から解放されることは戦国末までついになかった(48頁)。

 逆から言えば、

戦国大名による天文年間=十六世紀前半の段階における在来の伝統的な荘園領主・在地領主権力の軍事的解体は、このように、たんなる領主的支配権の否定であって、けっして領主支配の基礎の解体を意味しなかった(56頁)。

 で、その背景には中世農民が勤労と闘争をつうじて達成した、集約化・小規模生産の展開を内容とする農業生産力発展と荘園年貢の限定の動向」がもたらす剰余を誰が手にするかという問題設定があって、百姓の地主化と領主の地主化という拮抗する勢力争いが展開する。「領主が村落側からの地主化の拡大と対抗して、自らも急速に地主化をとげつつあることは確実である」(80頁)。こうした地主は、領域内では、「かなりの個別的拘束力をもつ地主・小作関係をともなうのと比べるならば、領域外集積は、これとまったく対称的に、地主相互間の契約売買関係を主流として展開するという、いわば構造的な二重性を大きな特質として指摘することが可能であろう」(82頁)。領主権力にたいする家臣の関係はこうした事情を反映していることになる。