宮廷社会

 17-18世紀の宮廷社会の社交的コミュニケーションの特質を考えるうえでは、まずエリアスかな。もともと戦場に赴く貴族がいわば国王のおかざりとして宮廷貴族化していき内部的に閉じた社会関係をつくり出すようになると。

これらすべての行為のなかに含まれていた実用的価値、すなわち、直接的な有効性は、多かれ少なかれ、後退するか、どっちみち余り重要なものではなくなっていた。これらの行為に厳粛かつ重大な意味を付与していたのは、もっぱらこれらの行為が参加者たちに宮廷社会内部で得させていた評価であり、これらの行為が表現していた相対的権力地位、位階、高位であった(132頁)。

 いわば、具体的に何かをするというよりは、宮廷内部での人間関係が大きな意味を持ってくるようになる。このとき、社会的地位の移動とは宮廷内で繰り広げられる競争的な相互行為の帰結に他ならない。

礼儀作法上の移動となって現れないような序列上の移動というものはこの社会では存在しなかった。逆に、礼儀作法における人々のほんのわずかな変化も、宮廷およぎ宮廷社会における社会的序列における変化を意味していた。それ故、各個人はこの機構内のほんのわずかな変化に対しても極度に敏感になっていた。そして自分自身に有利になるように事態を変えようと本人がやっきになっていない場合でも、各個人は微妙な差異にも注意を払いながら序列の平衡が現状維持されるように見張っていた。このような意味においてこの宮廷という機構は、それらがいったん出来上がってしまうと、競争という装置によって絶えず新たに生み出される威信要求とか威信をめぐる緊張関係を糧としながら、いわば類まれなる永久機関として、それ自体で回転し続けたのである(138頁)。

 そして、個人は自らの存立基盤をこうした社会関係以外におくことができなくなったとき、個人の威信、ひいては誰かが存在しているという自体が、他の者の意見に依存するようになっていく。

「礼儀作法の実践は、換言すれば、宮廷の自己表現であった。国王をはじめとして各個人が持っている威信および相対的な権力上の地位は、礼儀作法を通じて他の者たちによって確認されるのである。個々の人間の威信を構成している社会の意見は、ひとつの共通行為のなかで、一定の規則に基づき、個人相互間の行動様式を通して表現されるわけである。それ故、この共通の行為のなかで、同時に個々の宮廷人の存在の社会的拘束性が直接明らかになる。この威信は、行動様式によって本物であることが立証されなければ無に等しいのである。このように威信の立証や礼儀作法の遵守に途方もない価値が認められたが、それは「外見的なこと」の重視ではなく、宮廷人の個人としての存在感にとって最も不可欠なものの重視にほかならないのである(159頁)。

これ、どこかで聞いたことがあるような話ですね。
  

宮廷社会 (叢書・ウニベルシタス)

宮廷社会 (叢書・ウニベルシタス)