ルーマンの『マスメディアのリアリティ』を読んでもいまいちすっきりしないのでこっちを読み返してみた*1。この本、ルーマン本と同じ年に出てるんだな。いま読むとなんで最後にオタク論が来るのかよくわかる。ここで問題になってるのってホモ・ソーシャルな関係だよね。しかし、男女を同じように論じていいのかは疑問。それはともかくとして、
送り手は、具体的に知ることができない大量の受け手が統一的な集合をなして待ち受けていることについての、明確な認知的な予期をもつことができなくてはならない。加えて、受け手たちが、仮に名前を知らされていたたおしても決して直接には会うことがない送り手からのメッセージを受け取る準備があるのは、受け手たち同士が、互いに具体的に知ることなしに、密かな連帯感によって結びついているからである(143頁)。
で、それがいかにして可能かと言えば、
受け手はたちは、マス・コミュニケーションへの懐疑や拒否を経由しても、なおそれに従属してしまうのである。従属は、選択の可能性が自覚されている領域(意識)の外部でー体験の水準でー生ずる(162頁)。
というのも、
マス・コミュニケーションの影響とは、(直接に出会うことのない)他者(たち)において生じているような認知を、認知的に予期することから来るのである(169頁)。
というまとめでよろしいかな。マスメディアのコミュニケーションが、受け手にどのような体験処理の可能性を開いているかがいちばんの焦点になると。これだと、シニカルにはまるという話になりますな*2。それから、同じようなことはネットについても言えそうですな。
- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1995/06/06
- メディア: 単行本
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*1:http://d.hatena.ne.jp/Talpidae/20111122
*2:発見できないのだが、この本にはどんなことが書いてあったっけ。