これもドレイファス。いくらネットとつながってインタラクティヴな関係に入っても、それに対する残余のような感覚が残るだろうと。この発想、メルロ・ポンティを引いているのだが、ゴッフマンの議論にも近い。
われわれはただ単に物事に対処する活動的な身体であるだけではない。身体を有したわれわれは、何らかの特殊な事物に対処しようとする構えの他に、事物一般に対処しようと構えの他に、事物一般に対処しようとするある恒常な構えを経験している(76頁)。
また、「テレプレゼンスが何らかの信頼感を与えることができることは疑い得ないが、それはかなり薄められた感覚であるように思われる」(93頁)。そりゃ、認証システムを初めとして信頼を請け合う仕組みのかなりを移譲してしまっているのだからそうなっていくだろうし、その反映として、当然、リスクを負うという意識も発達しにくい。
また、この手の話から引き出せるインターネットが助長しやすい傾向として、キルケゴールを引きながら、
かくして公共領域は自分を局地的な実践から引き抜いて思案する、遍在するコメンテーターたちを育成することになる。この局地的な実践からこそ特殊な問題が生い立ち、その観点からこそ、何らかの種類のコミットメントを持った行為によって問題が解決されなければならないのにも関わらずである。それゆえに、傍観的な啓蒙理性にとって美徳と思われるものが、キルケゴールにとっては不徳なのである。どんな良心的なコメンテーターも、直接の経験を持つ必要はないし、いかなる具体的な立場をとる必要もない(102頁)。
で、こうして個人が無差別になっていく傾向に対抗できるのが、「無条件のコミットメント」であって、この辺はテイラーの議論を思わせもする。「このような無条件のコミットメントは、私の人生における重要なものと些末なもの、関連するものと関連しないもの、真剣なものと遊び半分なものとの間に質的な区別を確立することによって、水平化を阻むのである」(115頁)。
こうしてみると、和田本は身体に対する考察が行き届いていないなと思う一方、ドレイファスが想定しているような身体を、われわれがどこまで自明のものとしていられるのかもまた議論になるように思われる。他の人工知能の本はどんな話をしていたっけ?
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