あらためて、自然災害の発生にともなう
「悲劇と気前の良さはどこでも見られた」(46頁)。「その理由の一つは、災害時には、人びとは長期的ヴィジョンに立たないからだ。---。災害直後には、人びとは互いに対して連帯感と共感をもつが、普段はそうではない」(48頁)。
そこで起きることは、ホッブスの考える無政府状態ではなく、クロポトキンの考える無政府状態に親和的であるという。
「災害が起きると、ヒエラルキー、行政、公共機関といった社会構造が崩壊しがちだが、その結果、生じがちなのは、メディアの報じる無法な蛮行という意味での無政府状態ではなく、人びとが自由に選んだ協力のもとに結束する、クロポトキンの提唱する無政府状態だ」(130頁).
なぜ、そうなのか?戦後、合衆国でなされた災害研究のなかで、引き出された結論は以下のように常識をくつがえすものだ。つまり、われわれは日常的に災厄のなかを生きているというのである(なんだか、妙に実感あるんですが)。それでも、社会が回っているということについては、このケストラーの記述を思い起こす*1。
「フリッツの最初の革新的な前提は、日常生活はすでに一種の災害であり、実際の災害はわたしたちをそこから解放するというものだった。人びとは日常的な苦しみや死を経験するが、通常それは個人的ばらばらに起きている」(155頁)。「つまるところ、災害は日常生活の疎外感と孤立感に対し、一時的な解決策を提供してくれるのだ」(156頁)。
では、災害時にパニックを起こすのは誰であり、それはなぜか?
「エリートパニックがユニークなのは、それが一般の人びとがパニックになると思って引き起こされている点です。ただ、彼らがパニックになることは、わたしたちがパニックになるより、ただ単にもっと重大です。なぜなら、彼らには権力があり、より大きな影響力を与えられる地位にあるからです。彼らは立場を使って情報資源を操れるので、手の内を明かさないでいることもできる。それは統治に対する非常に家父長的な姿勢です」(175頁)。
つまり、彼らだけは相も変わらぬ日常を生きているからだ。
災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)
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