『慢性疾患を生きる』

これも『アサイラム』がらみ。頓挫した研究プロジェクトのために買っておいた本が今頃ひっぱり出されて、読んでみるときわめて身近な話、よくわかる話が出てくる。患者が「仕事」をしているというのはごもっとも。患者は患者というだけでなく、病院のなかでは患者に期待されるある種の人間像があって、それを実践することが求められてくるわけだ。興味深い論点なので、もっと立ち入った記述が欲しい。「仕事をしていると言っても患者は病院に雇われているわけでもなく、医療従事者や他のスタッフのような地位はない。したがって、患者が実際に仕事をしているとは、自分の病みの軌跡を管理維持するという仕事に加担しているとは、医療従事者からはなかなか受け止められてもらえないのである」(169頁)。
 また、この本、グレイザー&ストラウスの前著とネガポジになっているというか、重なる部分が多い。「死にゆく患者」だって慢性疾患を抱えた患者に該当するわけだから当たり前のことなのだけれど、そのわりには、そうした連続性が意識されているようには読めない。あと、アイデンティティという概念がゆるいというか、わざわざ用いる必要性がよく分からなかった。この本、欧文索引までついていて便利なのだが、後述するとされている「アイデンティティの決めつけ(identity spread)」は104頁にしか出て来ないんですけど。前著同様、内容というよりは記述スタイルでつまずいてる。で、ついついゴッフマンって概念の立て方がうまかったなと思ってしまう。

慢性疾患を生きる―ケアとクオリティ・ライフの接点

慢性疾患を生きる―ケアとクオリティ・ライフの接点

 類書がもう一つあるのだが、この本、もう手に入らないみたい。

看護婦と患者の死 (1968年)

看護婦と患者の死 (1968年)

 

計画停電について、総量規制をなんて話も出てきているわけですが、値上げという考え方もあると。

http://diamond.jp/articles/-/11554