『自分自身を説明すること』

 アドルノを引きながら論じているこの言葉は書き記しておきたい。

倫理の基盤として自己保存を主張する際の問題点の一つは、それが、道徳的ナルシシズムの一形式とまではいかないまでも、純然たる自己の倫理になってしまうことである。人は、こうした傷に対する権利を主張したいという願望と、その主張に抵抗することとのあいだの揺らぎに執着しながら、「人間になる」のである(192頁)。

 そもそも

「私」は最初から、私が想起も復元もできない呼びかけを通じて存在するようになるのであり、私が行為するとき、その構造の大部分は私の作ったものでないような世界で行為するのである(242頁)。

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)

自分自身を説明すること―倫理的暴力の批判 (暴力論叢書 3)