社会的アイデンティティ理論

 もってたのでこれも読んでみた。すごくつまずいた。これもノー・コメントでいきたいところだが、少しだけ。個人がどのような集団カテゴリーを採用するかが重要なら、同様に個人がどのようなカテゴリーを採用して社会現象を理解するかも同じように重要だと思われるのだが、こちらはただの被説明変数になってしまうみたい。被説明事象がそもそも同じカテゴリーで括られるような現象なのかよく分からないまま、それをひとくくりにする説明カテゴリーが持ち出される等々、説明概念や仮説がとても人工的に思える一方で(たとえば、「集団凝集性」とは「集団ないしその成員への魅力だ」みたいな仮説)、それがそのまま日常現象に直結されてしまうと、どこまで説明しきれているのかよくわからず話をおいかけるのがとても難しくなる。
 たとえば、最小集団パラダイムが差別を説明するかのように書かれているが、内集団と外集団で扱いを変えるということは、ただちにいわゆる「差別」を含意するわけではあるまい。ある家族が他の家族の成員と自分の家族の成員と違った風に扱うことは差別とはいわない。また、逆に扱いの違いが生じないとすれば、実質的には二つの集団に違いがないということになり、採用されている集団カテゴリーがレリヴァントになっていないということにはならないだろうか?実験がどのように組織されていたかを丁寧にみずに即断するのは早計だが、なんかトートロジーくさい感じがする。

社会的アイデンティティ理論―新しい社会心理学体系化のための一般理論

社会的アイデンティティ理論―新しい社会心理学体系化のための一般理論