というわけで、オリエントとは、現実の経験と結び付いた何かというよりも、オリエントを表象する媒体そのものなわけであり、その媒体が再組織され増殖されていくわけだが、こうした「テクスチュアルな姿勢を生み出すのに都合のよい状況は二つある。ひとつは、比較的知られていない、脅威的で、かつ以前には遠くへだたっていたものと間近に遭遇する場合である。このようなとき、我々がまず頼みとするのは、この新しい経験と似た以前の経験であり、またそれに関してかつて読んだことのある文章である(221頁)。
「テクスチュアルな姿勢を生み出すのに都合の良いもうひとつの状況は、実際に成功がもたらされることである。---。この弁証法によって、読んだ書物が読者の現実の経験を規定すると、今度はその事実が書物の著者のほうに影響を与え、読者の経験によってあらかじめ規定されてしまった主題を著者に採用させることになるのである」(223頁)。
他方、こうしてテクストに埋め込まれてしまったオリエントはといえば、「そうしたオリエントは物言わぬ存在であり、ヨーロッパ人が思いのままにさまざまのプロジェクトを実現することのできる場であった。そのプロジェクトは、現地民を巻き込んでいながら、彼らに対しては直接に責任を負うことが決してなかった。また、そのようなオリエントは、みずからに対してたくらまれたさまざまのプロジェクトとか、作られたイメージ、いやそもそもみずからが叙述されることそれ自体に対してさえ抵抗することができない存在なのであった」(223-4頁)。
- 作者: エドワード・W.サイード,Edward W. Said,今沢紀子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1993/06/21
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