北山修 最後の講義

 ボクは中高時代に北山修から圧倒的な影響を受けており、当時出ていた本はすべて読んでいたのはもちろん、手に入るレコードはすべて入手し、出演したラジオ番組もかなりフォローしてきたつもりだ。でも、いつの頃からだろう。彼の言うことにどこか違和感を覚えるようになり、精神医学系の本ならそれなりに読んできたつもりなのに、なぜか彼の本は手にする気にならずにいた。
 今回、最後の講義ということで見てみた(彼がこの手のことを銘打つのはこれで何度目だろう?)。ボクには、なぜテレビの話を引き合いにする必要があるのか、彼の個人的な経験以上のことが、よく分からなかった。また、彼の言っていることを突き詰めれば、人間が「素の自分」、本当の自分に戻れるのは精神分析を受けるときだという話に収斂していくように思えた。
 でも、精神分析やカウンセリングを受けるときに、われわれは常に演じることから無縁でいられるのだろうか?あるいは、日常を生きた結果、素の自分に戻れる場所が必要になってくるというのなら、「素の自分」とは、日常生活の裏表のある演じられる自分以上に作られたものだと言わざるをえなくなってしまわないだろうか?われわれが人の手を借りてでも自分自身をふりかえってみる必要にせまられるということ自体の方がボクにはよほど問題に思われるのだが。まあ、選んだ仕事のちがいのせいかもしれませんけど。