『戦国大名と一揆』

 一昨年書いた論文の積み残しの勉強を昨年に引き続きこの休みに少し。論点がよく整理されて便利。しかし、これいつか身を結ぶのだろうか?まあ、これもリハビリの一環ということで、この本で確認される基本線は以下。

武家社会においても、一族一揆国人一揆なあど前代より様々な一揆が結ばれていたが、これに拠っていたのでは「家」の存立が危うくなったとき、一人の指導者の下に社会統合を強化し秩序維持を図ろうという動向が強まる。その中から生まれたのが戦国大名だった。その意味で戦国大名は、領主の一揆を基礎としつつ、その矛盾を解決するために生まれた新たな権力といえる。こうした一揆戦国大名との絡まりの中から、新しい社会秩序が形成されていった(3頁)。

 一揆の特徴をあらためて確認しておけば「一揆の性格で重要なのは、構成員が原則的に対等な立場から参加していることであ」り(2頁)、「このような一揆の構成員になる条件は、自立した主体であることだった。当時でいえば、経営体としての「家」の主人=代表である。主人の「家」に寄食し、その経営を手伝うことで生活しているような者には、資格がなかったのである」(3頁)。「こうした「家」の広汎な成立に見られる下層の人々の地位の向上こそが、「下克上」を支える社会的基礎だった。彼らが一揆を結成した目的は、何よりも自らの「家」の安定的存立だった。「家」の存立を脅かすものは、近隣の「家」同士の争いや外部からの収奪・侵攻など、状況により複雑・多様であ」った(3頁)。
 こうした背景には農業生産の発展に伴う小農民経営の自立化がある。「戦国時代は、近世の本百姓につながる農民の小経営が本格的に成立した時期でもあったのである」(33頁)。そして、荘園領主の支配から独立した自治組織としての惣村が成立し、農繁期の共同作業や灌漑用水や入会地の管理など利害調整が行われていく。といっても、誰もが惣村の構成員になれたわけではなく、「重要なのは「家」の主人であることだった」(35頁)。
 そして、「このような惣村のリーダーとなったのは、土豪地侍と呼ばれる存在だった」(37頁)。彼らが郷村の秩序の維持のために郷村の内外で役割を果たすようになる。「郷村間の対立には実力行使や訴訟などで近隣郷村と連合する契機も含まれていた。それだけでなく、日常的な関係においても、共同作業や利害調整が必要だった」(45頁)。たとえば。「在地徳政」はそうしたなかで百姓経営を維持するために行われた。
 こうした郷村の自立化傾向に伴い、「大雑把にいえば、惣領制的な単一の経営体としての「家」が解体し、「家」経営体をもつ領主の連合体として家中が成立したのである」(48頁)。しかも、「家臣の中には有力な庶家や独立した国人領主出身の者がおり、惣領=主人の支配権はそれほど強いものではなかった。というよりは、成立した当初の「家中」は、家臣の一揆的性格が強かった」(49頁)。このように「国人領主は「家」単位に一揆組織を形成し、領内の支配秩序維持にあたっていた」(52頁)わけだが、それだけでなく、「中には、郷村の百姓衆と国人衆がそれぞれ一揆を形成し、地域秩序を維持するために誓約を交わすことさえあった」(53頁)。

 こうなると、応仁の乱の特徴として確認される以下の話もよく分かる。「もう一つの、そして歴史の展開を見る上ではより重要な原因は、家臣が主人の家督問題に積極的に関わるようになったことである。すでに述べたように、彼等はもはや主人に一方的に隷属する「家の子」ではなく、自前の「家」をもつ国人領主だった。彼らが主人に求めたのは、「家」の存続を保証できる政治的能力であり、それに基づく彼らの支持が家督決定の鍵となったのである」(9頁)。

 しかし、次第に自力救済にもとづく国人衆間の土地紛争の解決手段や国土の防衛、さらには流通経済の拡大に伴う上位の調停権力の必要から戦国大名の地位が浮上していく。たとえば、ここでその顕著な例としてあげられているのが毛利元就に出された家臣からの二つの起請文である。1532年のそれは一揆的な色彩が強かったのに対し、1550年のそれでは家中の家臣化、毛利元就はこれで「公儀」を称するようになる。「これにより毛利「家中」は、一揆的な横のつながりを基本とする秩序から、主人と家臣との縦の関係を基本とする秩序へと編成替えされた」(104頁)。「この事件を通じて毛利「家中」が選択したのは、主人である毛利氏に強い公的権限を与え、自らがその執行担当者になることだった」(105頁)。
 これにより土豪が家臣化していく一方で、土豪を通じた農村支配が行われていくようになり、領民の身分編成が進行していく。そのための重要な役割を果たしたのが検地である。あるいは紛争解決手段として分国法に盛り込まれたのが「喧嘩両成敗」である。「公権力が社会的分業を政治的に編成したものが身分である。それぞれの身分集団が「役」という職能に対応した義務を果たすことにより、社会は成り立っている。それを統括する権力は、その反対給付として、それぞれの職能を遂行するうえで必要な権利を保障する役割を果たした」(167頁)。「国家」という言葉が使われるようになるのもこの頃からである。
 これに伴い争乱の性格も変化していく(「国境境目相論」)。地域権力の自立化が進んで、中央との関係が次第に意味を失い、「地域社会で覇権を確立した大名同士が、支配権の拡大を目指して争い合うようになるのである」(188頁)。そして、ここまで確認してきた趨勢が、最終的に全国統一政権を必要とする条件を整えていくことになる。

戦国大名と一揆 (日本中世の歴史6)

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