自信をつけるって

 いろいろ話を聞いていくと、いまや子供に二つ三つのお稽古事をさせるのは当たり前と化しているみたいなのだが、そのなかには、水泳とか、テニスとか、サッカーとか、いろいろスポーツのお稽古事まで含まれてくる。で、知人がお稽古事の一つのコーチをしていて話したこと。当然のことながら、小学校の5年とか,6年とかになって初めて習い始めるという子もいるわけで、そうするとその子をどこのクラスに入れたらよいかということが問題になる。クラスの方は、年齢ではなくレベルで分けられているのだが、実質的にはだいたい低学年、中学年、高学年それぞれに相当するよう分かれてくる。小学生だと1学年違ってもかなり体力差が出てくるから自然とそうなってしまうのだ。
 このとき、イマドキノ親御さんはは子供が5,6年生でも初心者だというだけで、一番低レベルのクラスに入れてくれるよう希望してくるのが圧倒的だそうな。理由は、「自信をなくすといけないから」。って、初心者じゃ、自信をなくす以前に自信もなにもないと思うのですが。それに、1,2年相手に、5,6年生が自信をつけても何の意味もないと思うのだが(逆に、負けて大変なことになったりして)。なんらかのトラブルを抱えているならともかく、とりたてて問題がなければ、同じ年頃の子供たちと同じクラスに入って、最初はかなわなかったのが、そのうちなんとついてけるようになる方がずっと自信がつくだろうし、まあ、本人の適正を考慮するにしても、せめて中レベルのクラスから始めるとか、少し苛酷な環境においてみるのは悪いことじゃないと思う。ちなみに、以前は逆になるべくハイレベルのクラスに入れることにこだわる親の方が圧倒的に多かったとか。
 ボクには、この話、親が、子供の心配をしているというよりは、自分の子供の能力に信頼を置いていないように感じられてしまう。残念ながら、社会というものは、それぞれの適正に見合ったように個人の居場所を用意してくれないのがふつうだ。いつでもマイ・ペースというわけにはいかないのよ。まあ、そこまで先の話はしなくても、教育だって集団で行うかぎり必ずでこぼこは出てくるわけで、それを本人の努力と周囲のサポートでなんとかしていくのが基本だと思うのですが(もちろん、許容範囲というものはあります)。いずれにせよ、親の方が最初から無条件に子供への要求水準を下げてしまうというのは何なのでしょうね?もっとも、いまやこうした要望は大学にまでおよびつつある気配なのだが。