兵藤裕己『演じられた近代』

 話がこんな方向に進むとは思っていなかったのだが、たまたま見かけて面白そうだったので購入して読んでみたら、やはり面白かった。われわれのなかに「声の文化」の名残がいかにどのような形で根づいているかを考えるうえでとても役に立った。

むしろ等時的な拍を強調する七五調の二拍子系リズムを「日本的」と感じることには、明治以後の唱歌教育や各種のはやり唄の流行、あるいは近代は行くや近代短歌の運動なあどによって普及、斉一化された私たちのリズム感と身体感覚の問題をみるべきだろう。それは在来の七五調の朗誦リズムをベースにして、それに洋楽の等時的な拍を接続してつくられた日本近代のリズムだが、しかし前近代にあっても、すでに七五調をベースにした二拍子系のリズムが支配的なリズムとなっていたことも事実である(37頁)。

演じられた近代―“国民”の身体とパフォーマンス

演じられた近代―“国民”の身体とパフォーマンス

 読みながら、昔大瀧さんが日本にどうやって西洋の音楽が入ってくるか、たとえば、それがどう演歌とつながるかを明らかにしていったラジオ番組があったのを思いだした。あれ、もう一度聞きたいな。実家にエアチェックしたテープが残ってなかったけ。それから、この先に関連本としてこのあたりを読めばよいのだろうが、読み返してる時間がない。

歌謡曲の構造 (平凡社ライブラリー)

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J-POP進化論―「ヨサホイ節」から「Automatic」へ (平凡社新書 (008))

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