マスターソン『青年期境界例の治療』

 「見捨てられることによって生じる抑うつ」と「自己愛的-口唇期的に固着した自我構造」から境界例を説明するマスターソンのモデルを概観。あとはカーンバーグなんだけどどうしましょう。

青年期境界例の母親は自分自身が境界例症候群にかかっている。
彼女が自分自身の母親から分離できていないので、子供との共生的結合をはぐくみ、自分自身の感情的並行を保つために子供の依存性が持続するよう促す。彼女は、幼児の現われんとする個性に脅かされ、それと取り扱いかねる。
 母親は子供を非人格化し、子供をありのままに見ることができず、むしろ彼女自身の両親のいずからかのイメージを、あるいは彼女の同胞の一人のイメージを、子供の上に投射する。あるいは、子供を永遠の幼児あるいは一個の対象物としてとらえ、彼女が自分自身の「見捨てられ感情」から自分を防衛するために子供を利用する。その結果、共生期においてさえ、母親は子供の内から開かれてくる個性に応じることができない。そして子供は、母親から(承認という)供給得続けるために、自分自身のある種の潜在力を無視することを学ぶようになる。母親は子供にしがみついて分離を妨げる。ときどき支持を引っ込めては、子供の個体化への動きを挫きながら(47-48頁)

 「それゆえ、一歳半と三歳の間に、子供の中に葛藤が生じる」(48頁)。子供の自我構造が発展、成長するには、母親の承認を必要とするが、子供が個体化と自律に向かって成長しようとすると、母親からの感情的供給が引っ込められてしまうからである。

 子供は、この「見捨てられ感情」を自覚するのに耐えられなくて、自我分裂や否認という防衛規制でこれを処理し、彼自身の開けてくる個性がら逃げ出す。なぜなら、個性が母親からの支持を脅かすからである(48頁)。

 このしがみつき、自我分裂、否認は、行動化、反動形成、強迫機制、投射、否認、分離、離間、感情的ひきこもりといったさまざまな防衛規制によってさらに強化され、「「見捨てられ感情」は無意識へと退く」が、「こうした諸防衛が、分裂-個体化の段階を経て自律に至ろうとする患者の発達の動きを効果的に阻止してしまう。子供は発達を停止する。」(48-9頁)。

 子供の強い口唇期的依存性と、自我構造を形成し成長するために母親からの愛情と承認を求めようとする欲求とは絶対的なものであり、そして、母親の側からこれらの供給を剥奪することに対しての子供の怒りと欲求不満は非常に大きいので、子供は、自分のこのような感情が母親と自分自身をともに破壊してしまうのではないかと恐れるようになる。この恐れを処理し、母親からの供給を受けているという感情を保存しつづけるために、幼児は、母親という全体的対象を、良い母親と悪い母親という二つの部分に分裂させる(50頁)。

 他方、

 分離-個体化体験がうまくゆくことでもたらされる重要な利益の一つは、それが前提条件となって、個人的および社会的対人関係ができるということである。これは、個々の人間全体を対象として他者と関係する能力、つまり、対象を全体として、良い面も悪い面も、欲求を満たしてくれる面も欲求不満を起こさせる面も、ともに見ることのできる能力、そそてその対象によって欲求不満が引き起こされてもそれと関係を保ち続ける能力である。後に満足のゆく対人関係がもてるために不可欠なこの重要な特質は、境界例では発達しない。そのかわりに、対象分裂という原始的防衛規制(クラインのいう妄想的態勢)が存在し続ける。言いかえると、全体として対象と関係をもつのではなく、部分としてしかもてない。部分としての対象と関係することで全面的に欲求不満が満たされたり、全面的に欲求不満がひき起こされたりたりするのである(49-50頁)
 彼は一つの全体的対象として人々と関係をもつのではなく、人々が、良いか、すなわち欲求を満たしてくれるか、それとも悪いか、すなわち欲求不満をひきおこすかのどちらかであるかのように、人々と関係を持つ。この分裂の両面とも、等しく非現実的である。言いかえると、彼は、クラインの述べた抑うつ的態勢を達成していない(50-1頁)

青年期境界例の治療 (1979年)

青年期境界例の治療 (1979年)