フィリス・ハートノル『演劇の歴史』

 暇を見ては最近の課題をこなす。まずは、ルネッサンス期のイタリア演劇の記述から。たとえば、映画で言えば、モーガン・フリーマンなんかは、味のある役者だと思いつつも、どんな役を演じてもモーガン・フリーマンがやってるというイメージから抜けきれないで見てしまうのだが(もちろん、これは程度の問題です)、以下の話はそのレベルを超えていてチャップリンあたりまでいくと近いイメージになるのかな。

即興はコンメディア・デルラルテのもうひとつのきわ立った特性によって助長されたことは疑いがない。一座は常に同じ役を演ずる俳優で構成されていた。これは今日我々が知っているような役柄に合わせて配役などというものではなく、その過程の中でその役柄の人物と一体化し、しばしば自分の個性を失ってしまうというよりは、むしろ演ずる役のタイプの個性の中に自分の個性を没入させてしまって、ひとつの別個の人物を創造するという生涯をかけての変身の仕事だったのである。多くの場合、俳優は自分自身の名前を捨てて役柄の名前をつけ、その役柄がいっそう自分自身のものになるようにした(54頁)。

 
 18cにいたるまでの俳優の少なくとも一つの典型像をここに見てもよいようだ。コメディ・デラルテの「最良のものはヨーロッパ中の俳優たちによって何世代にもわたって取り入れられたが、17世紀の終わりまでに本来のものの影だけになってしまった」(63頁)。でも、どんな感じの演技だったのかはよく分からない。17cフランスのこととして次のような記述がある。「ここではイタリア式の舞台装置が、まだ古い様式を捨てきっていなかった。また劇そのものも、演説の練習のようなものであった。どの役者も舞台の先端に進み出て自分の台詞を高々と朗唱したあとで、ひきさがって次の俳優と入れかわったのである」(92頁)。

 ルネッサンス以降の流れのなかで、シェークスピアモリエールといった劇作家の登場は、俳優に対する劇作家の優位を確立させ、俳優の衣装や背景も、劇の時代背景にあわせたものになっていくということのようだ。たとえば、「18c初頭になると、ドイツにおいてもオーストリアにおいても人々の真剣な努力によって古い喜劇が追放され、代わりに品位の高いものが現われ、17cにドイツの劇場で重要な位置を占めていた職業俳優の優位性が後退し、文学的な劇作家がこれにかわった。仕事を劇場だけに限定しない改革家ゴットシェットは、品のない道化芝居中心の即興劇と、それにつきものの騒々しいドタバタと、すぐに満足してしまう観客を特に嫌っていた」(131頁)。
 つまり、舞台を幻想の世界として自立させようとするならば、俳優と観客のインタラクティヴな関係を最低限に抑え込んで、いわゆる舞台を観照する「観客」を創り出す必要があったわけだ*1。で、革命期以前のフランスでは、コメディ・デラルテの伝統を引き継ぎながらも、メロドラマが主流になっていくわけだが、強い感動的場面を求めていた中産階級が、女性も加わって、そこに殺到する。そんななか

ヴォルテール)は悲劇と喜劇を一緒にし、フランス悲劇をその17世紀の根源から完全に分類した方法で、群衆の場面やスペクタクル効果を行使した。しかし、群衆やスペクタクルはひとつの優れた効果をもたらした。すなわち1748年の「セミラミス」の初演の絵では、演技をする場まで観客が侵入しているのが見られるが、舞台から観客を引き離す役に立った。三年後、ガリックはロンドンで、同じ長い懸案の改革を果たすことができた(147頁)。

演劇の歴史 (1981年)

演劇の歴史 (1981年)

*1:このあたり、この本の話を重ねてみると面白いかもしれない。

聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化

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