『太陽はひとりぼっち』/『二つの鍵』

 アントニオーニの作品はけっこう見てきたつもりだったけれど、『太陽はひとりぼっち』(1960)は見そびれていた。原題はL'eclipse日蝕)。主演は、モニカ・ヴィッティ。彼女が出てると、とてもアントニオーニな感じがする。でも、フェリーニの『甘い生活』なんかと同じ時代の空気を感じさせた。ま、ボクの方がそのように見てしまった面もあるかもしれないけれど。それに、ある意味、描かれているのがいまとなっては当たり前の風景だってこともあるだろう。
 話は、タイムリーなことに、彼女の母親は素人の株屋で株の大暴落で大きな損害を受けるという設定になっている。彼女は、そんな母親に会いに株式取引所へ行き、そのやりとりを興味なさそうに見つめているのだが、そうはいっても彼女自身、そうした背景のもとで生活している。しかも、最初の男と別れてしばらくしたら、アラン・ドロン扮する株屋と付き合うことになる。でも、幾度か情事を重ねた末、二人はいつもの約束の場所にあらわれなくなる。
 彼女に漂う生気のなさというか荒涼とした感じは、いかにもアントニオーニなわけだが、株式取引所に象徴されるような資本主義社会に生まれ落ちながらも、そんな社会を生きることになぜか不全感を覚えてしまう姿を映しだしているというようなことになるんだろう。実際、彼女の隣人でコンゴ生まれでコンゴに愛着を覚えているというより自然と結びついた女性が対比項として用意されている。
 で、不毛な愛とかいった形容がなされるわけだけど、ボクには、その不全感として暗黙のうちに主題化されているのは、なによりもポスト伝統社会における性関係であるように見えた。彼女が最初に付き合っていた男と別れ話をしているとき、彼女が部屋のカーテンをあけると、そこにはキノコのような形をした塔が立っている。また、男が彼女を見送っていくとき、二人の前を子どもが通り過ぎるのだが、その子どもに興味を示して頭をなでるのは男の方だ。また、先述のようにアフリカの話がでてくるわけだが、彼女が友人たちとセスナに乗った後、彼女の視線がふと傍らにいた二人の黒人の方をよぎる。
 それから、株屋のドロンとつきあうようになるわけだが、彼女が彼と逢い引きする約束の場所で、馬車と乳母車がすれ違う。たしか神父も乳母車と同じ方向から歩いてきていたと思う。また、彼と落ち合ったときに彼女の視線がふと向かう先には、マッチョな労働者がいる。そして、彼の家(生家)に誘われるのだが、「どうして自宅へ連れて行ってくれなかったの」と言いながら、彼女が目にする家のなかは子どもの絵だらけ、やはり子どもの絵がかかっている寝室のカーテンをあけるとこっちへ神父が歩いてくるのが見える。しかも、その彼の生家で肉体関係を結んだ形跡はなく、それをうかがわせるのは彼のオフィスだ。結婚の話を持ち出すのもドロンの方。
 というわけで、カトリシズムや伝統的な性関係と対立するところに、彼女が選んでしまう性関係を暗示する記号がいろいろ配置されているように見える。いまのわれわれにとって、恋愛や結婚とは別のところで、快楽のためだけの肉体関係を考えることはそれほど難しいことではないが、カトリシズムの影響力の強かった60年前後のイタリアではどうだったろう?資本主義社会のもう一つの落とし子である彼女には、伝統的な道徳観から切り離された欲望が宿ってしまっており、それは彼女自身にも自覚されていない。そこから彼女が覚える漠然とした不安が男との関係をためらわせ、終わらせる。そんな風に考えたくなる。
 だが、関係が終わったところで自分のうちに宿ってしまったものが消え去るわけではない。この映画のなかではしばしば、街灯が並ぶ夜の街を移した情景が出てきて、それが映像的にも美しいのだが、同時に、それは日蝕になった世界、それまであったものに光りが充てられなくなった世界に重なるだろう。ラストシーンはそんな夜の街に並んでいくある街灯の一つがクローズアップされる。あの明かりは何をともしているのだろうか?


 同じ日に見たもう一本は、クロード・シャブロルの『二つの鍵』(1957)。こっちは、娘がいかにもイマドキノ若者と婚約しているのが不満だし、夫が愛人を作って明らかに夫婦関係も破綻しているのに、それを直視しようとはせず、見栄や世間体ばかり気にして既存の家族関係に立てこもろうとする母親がいて、夫婦の確執を立ち聞きしたマザコン息子が父の愛人を殺してしまうという筋立て。
 この息子が、家族の面々を前に殺人の場面を回想するとき、その愛人に向かって語ったという言葉が印象的。「あなたは美しい。あなたを見ていると、母の醜さ、ひいては自分の醜さがよく見えてしまう。だから、あなたを殺すのだ」と。つまり、母や彼にとって愛人は鏡なのだ。だから、それを象徴するように、彼女を殺す前に息子は部屋の鏡を割る。
 ここにあるのは、いまや失効しつつある伝統的な道徳意識を母につられて抱え込んでしまった男の子の苦悩だとでも言えばいいだろうか?アントニオーニの映画と裏腹の関係にあるような主題が見えて興味深かった。そして、いまのわれわれはおそらくは同じことの何度目かの反復を経験しているのだ。

太陽はひとりぼっち [DVD]

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二重の鍵 [DVD]

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