『大丈夫であるように』

 Coccoなんてヒット曲以外聞いたことがないのだが、監督が是枝さんなので行って見た。見ていて、痛々しいほど感じずにはいられなかったのは、この人いろんなものを背負っちゃう人なんだなということ。そうすると、職業柄、親子関係はどうだったんだろうとか気になってくるのだが、実際、思い出として語られるのは役者だったお爺ちゃんの話で、両親は父のプロポーズの歌が拓郎の「結婚しようよ」だったという話だけ(Wikiによれはやはり何かあったようです)。
 それはともかく、この映画は、ある意味で、彼女が背負ってしまうもの追いかけていくロード・ムーヴィーみたいになっている。彼女が沖縄人であるということは、何よりも彼女が背負ってしまっていることに違いないし、だから、また、彼女は普天間基地建設予定の海岸へも行く。そうした、彼女の歌は、同じように何かを背をわされていると感じて苦しんでいる人たちに、おそらくは癒し系の歌い手として聞かれているだろう。たとえば、彼女曰く、自分のところに送られてくる手紙は「助けてください」というようなものばかりなのだという。でも、そのなかに青森に住む女性から六ヶ所村の核再処理施設のことを知らされ、青森でコンサートへ開き、六ヶ所村へ行く。あるいはヒロシマへ行く。
 何かを背をわされている人間は、そうした自分の苦しみには目が向いても、自分も誰かに何かを背をわせているかもしれないというところへはなかなか目が向かない。青森のステージでそんなことを語り、六ヶ所村のことを知らずにいた、そうした自分を謝る彼女のツアーは、われわれがもたれかかっていながら見ようとしないものにあえて目を向ける苦行だったのかもしれない。ツアーの最中で、「頑張って」って声がかかると「もう頑張ってるんだから、そんなこというな」みたいに答えたのが印象的(沖縄の口調だからきつい感じはしません)。
 そうした資質の持ち主なのだろうが、彼女には、いろんなものを背負ってしまうからといって、何かすがるものを見つけて、それで自分が救済されたいと願うことをどこか断念しているところがあるようだ。それを何よりも感じたのは、宮崎駿の『もののけ姫』について語った場面。あの終わりで花が咲くのが許し難しいのだという。人間にはどうしようもなくてもう頼るものなんか何もないのだから、救いようのないところまで行ってしまえばいいと。ところが、子どもが産んで、その子といっしょに『もののけ姫』を見に行ったとき、子どものためには花が咲いて欲しい、将来の希望につながるものがあってほしいと願わずにはいられなくなり、花が咲いてよかったと思った、と。
 背負ってしまったつけをどこにも回すまいとするなら、その矛先はきっと自分の肉体に向かうのだろう。一番最初に、彼女がこの取材の間に黒砂糖を口にするシーンが出てくるのだが、それ以外彼女が何かを口にする場面を見かけることがなかったというインサートが出る。そうでなくても、彼女の随分と痩せ細った腕を見れば、もしやという感じがする。そして、最後のインサートで彼女が拒食症で入院したことも記される。彼女のファンはこの映画を見て何を思うのだろう?ボクはもう少し真面目に彼女の歌を聴いてみよう。