「魂のおきどころ/アンカー展」

劇場からちょっと歩いたところに松本市美術館がある。その目の前まで来て、そういえば、松本市美術館には草間弥生の常設展ができたんだということを思いだした。目の前にでかいオブジェがあるんだから、あまり思いだしととは言わんでしょうが。たまたま開館記念日とかで無料。ラッキー。
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/artmuse/p4/p3-html/p3-kusama.html
 で、まず草間の常設展に回る。ボクはまったく知らなかったのだが、彼女って幼い頃から強迫神経症で幻想や幻聴を体験してきたらしい。それを作品にしてきたというのだ。それを知って「そうだったのか」と思わずにはいられなかった。失礼ながら、彼女の作品って見ているとなんだか「病的な」感じがする。今回みたいにいくつも彼女の作品を見ていくと、ホントに自分がおかしくなってしまいそうな気がしてくる。あの自分の内側に入りこんでくるような彼女の作品の存在感というのは、作品のベースに彼女自身の幻覚があったからだと考えるととてもよく分かる。彼女自身、作品を作り続けることなしには、生きていけないようなタイプの人なんじゃなかろうか*1。常設展も「魂のおきどころ」と題されていた。
 本来なら、順序が逆でしょうが、それから企画展である「アンカー展」にも回る。こちらは、こういう作品を見る機会があったということ自体はとても有意義だったけれど、作品そのものはあまりボクの興味をひかなかった。作品はいずれも人々の日常的な様子を描いたもので、とりわけ子どもが可愛らしい。ちょっとロリコン入ってるかな。ただ、それよりも19cの作品ということもあろうが、絵に物語性が感じられ、宗教画の主題を日常的なものに置きかえただけみたいな印象をぬぐいがたい。そのせいか描かれている主題の大半は、日常生活といってもハレ舞台というか、わりとハッピーな場面ばかりだし、例外的とも言える子どもの死を扱った作品から浮上してくるのは何よりも聖性だ。
 そんな調子だから、日常生活を描いたといいつつも、なんかリアルな感じがしない。もちろん、絵を見ていけば当時の風俗とかがよくわかるし、「へー」とか思ったりもするわけだけど、これが日常生活を描いたものだと言われてしまうと、「これだけのはずがないよね」と抗いたくなる。本人は、晩年に「やりなおすことができるなら自分はバルビゾン派に加わりたい」と言っていたとか。あるいは、静物画は個人蔵で発表していなかったとか。そこには、一体どんな思いが隠れていたのだろう。
 最後に、美術館前の自動販売機に注目。

*1:自伝が出ているようです。

無限の網――草間彌生自伝

無限の網――草間彌生自伝