MISIAと宇多田ヒカル

 ブック・オフへ行くとMISIA宇多田ヒカルのちょっと前のCDが250円で売られていたりする。あれだけのクオリティの作品が消耗品扱いというのはいささか寂しいのだが、そうすると、彼女たちの歌は嫌いじゃないがCDを買おうとまでは思わないボクも周回遅れでそろえてみようかなと思ったりする。
 で、ぼちぼち聞いているのだけれど、MISIAを単体で聴いていると申し分なくいいなと思えるのだが、MISIAのファンにはたいへん失礼ながら、宇多田ヒカルと続けて聴くと、どうしてもMISIAの方が見劣りというか聴き劣りしてしまうような格好になる。何よりもMISIAを聴くときは歌詞があまりアタマに残らない。でも、宇多田ヒカルの場合は、歌詞が気になってくる。メロディーへのことばののせかたがうまいし*1、きっと発売当時に誰かが言ってるだろうけど、「拍車かかる」なんて言われると、こんな言葉を使うのかとはっとさせられる。そうすると、どんなことを歌っているのだろうとますます彼女の言葉づかいが気になってくるのだ。

Deep River

Deep River

*1:補足しておくと、ここでメロディーへのことばののせかたがうまいというのは、ことばがメロディーにぴったりはまっているということではない。そういう意味では、MISIAの歌の方がきれいにはまっているだろう。曲にもよるが、宇多田ヒカルの場合、歌詞がメロディーにのっているようでのっていないところがあって、最初は妙だなと思うのだが、聞いているうちにそれが気持ちよくなってくる。また、そうやってちょっとズレているせいで、耳が歌詞をおいかけてしまうのだ。