スコッチポル『失われた民主主義』

 すっごく面白い本。「アメリカ人はジョイナーである」というのはトクヴィル以来よく指摘されることだが、このとき、結成される様々なヴォランタリー・アソシエーションは地域のコミュニティに根ざしたものだとイメージされがちだ。「彼らは、合衆国の市民社会はローカルかつ親密なものとイメージし、自発的集団は元々ボトムアップ型かつ四方に分散した創造物で、地元に限られたコミュニティのあちこちで、親密な隣人や個人的な友人たちによってざっと作り上げられたものだと想像している」(19頁)。しかし、この本でスコッチポルは次のように主張するのだ。

保守的な推測に反して私は、アメリカにおける草の根ボランティア主義が主としてローカルであったことは決してなく、全国的な政府や政治と切り離されて隆盛したことも決してなかったことを実証している(10頁)。
19世紀および20世紀前半のアメリカにおいて、地元の自発的メンバーシップ集団の大半は、地元横断的な世界観とアイデンティティを体現し、また地元の人間により広い、外へと広がる社会的な絆への通路を約束していなかったとすれば、そもそも出現しなかったであろう(76頁)。

 ついては人々の間断なき移動や郵便制度、そして連邦型の「政府構造が、組織モデルの役割を果たした」のだという(35頁)。また、その拡大のきっかけは南北戦争をはじめいくつかの戦争だった。もちろん、そうした団体のすべてが好ましいものであったわけではないし、何よりも、この手の結社は階級横断的である一方、人種やジェンダーに沿って分割されていた。
 そして、60年代半ば以降こうした団体は会員を獲得できなくなり、新しいタイプの集団が登場してくる(「アドボカシーの噴出」)。だが、それはそれまでの運動の指導者を生み出してきた「雇用労働外の元兵士や高学歴の女性」がその源泉足り得なくなることと引換えでもあった*1

1960年代以後に現れた全国的組織の新たな世界は、アドボカシーの爆発によって設定され直され、50年代の連合体中心の市民世界に比べ、それだけ多くの非ビジネス団体や全体で何千も増えた集団で飾られるだけではない。そこには、ずっと多くの小集団や、メールやメディアを通じて獲得した支持者はいるが会員数はゼロのずっと多くの組織や団体が存在している。何千人もの市民起業家は、あれかこれかの支持基盤・目標・活動を専門にし、個人会員ゼロのアドボカシー組織、他の組織を代表する集団、大量メーリングや寄付による入会勧誘に応じるそこそこの数の個人的信奉者を代弁する団体を結成した(138頁)。

 スコッチポルはこの変化を次のように描いている。「1960年代、70年代のこうした社会運動は、不本意にもナショナルな市民社会を、専門家が運営する結社・団体が増える一方で階級横断的な会員を基盤とした結社が退潮する社会へと再編成する引き金となった」(11頁)。しかも、それは「諸々の傾向と諸々の出来事が合流して、メンバーシップの動員から市民的組織化のマネージメント的な形態への変化が引き起こされた」ということでもあった(152頁)。これは現在日本で起こっていることにもあてはまる部分がありそうだ*2

要するに、市民的有効性モデル自体が、1060年代以降大打撃を受けてきたのである。もはや市民起業家は、強大な連合体や対話式の草の根会員を勧誘しようとは考えない。新しい目標(あるいは戦術)が出現する場合、活動家は全国本部を設置し、中央から全国プロジェクトと同様に組織創設を管理しようと考える。現代の組織創設の方法では、市民団体が−ちょうど業界・専門職団体のように−連邦政府や全国のメディアの周辺に効率よく管理された本部を設け、そこに精力を集中させることがお薦めだ。大勢のアメリカ人の意見を代弁しようと意気込む団体でも、どのようないみでも会員はまったく不要なのだ(177頁)。
その結果現れたのが、20世紀後半の市民世界における最も重大な変化、すなわち大量の高学歴の上層中流階級の増大かもしれない(179頁)。

 現在に視点を移せば、ここにスコッチポルは民主主義の危機を見る。たとえば、ほかにも財団や自治体から支援を受けても「民主的な説明責任は−助成金の受領側と寄贈側の関係でも、あるいは政体全体のレベルでも−非常に少ない」(197頁)とか。合州国草の根民主主義を支えるコミュニティの衰退を指摘する、パットナムの『孤独なボーリング』に代表されるようなコミュニタリアンと、新しい運動団体の隆盛を評価するリベラル派という議論の対立軸があるわけだが、スコッチポルの議論はこうした論争に違った視点を導入することになるだろう。そして、ボクにはそれがかなり説得力のあるものに思える。スコッチポルの話にのると「新しい社会運動」とは何だったかがとてもよく分かる。そして、これは合州国だけに限った話ではない。『孤独なボウリング』もちゃんと読まなきゃ。

失われた民主主義―メンバーシップからマネージメントへ

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孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

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哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)

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*1:読みながらエリック・ホッファがこれに重なるようなことを言ってないか気になってきた。あとで確認してみよう。

*2:極端な言い方をすれば、小泉選挙とどぶ板選挙はどっちが民主的なんだろうかってことになるかな