「政治の季節」はどこで継続したのか?

原武史『滝山コミューン』

 話題の本、某所での待ち時間を利用して一気に読了。複雑な気分で読み終えた。単純に60年代で「政治の季節」は終わったわけではないというのはなるほど。たとえば、それはこんなところでこんな風に継続していたわけですね。
 ボクは原さんとは少し世代がずれる。もちろん、ボクが通った小学校や中学校ではこんな過激なことは行われていなかったが、それでもやはり思い当たるフシがある。当時から、班とか係活動とか、とにかく学校でやる集団活動が何もかも嫌で嫌でたまらなかったが、あれは「全生研」のなれの果てだったということになるのだな。いわゆる「管理教育」というのはどうみたって「滝山コミューン」の行き着いた先のようにしか見えない。もちろん、そこには生徒の自主性を尊重するなんて発想はかけらも感じられなかったけれど。でも、何の意味があるかまったく理解できないまま、ひたすら集団的であることが重んじられていた。
 そんなわけで、読んでいてある種の「そうだったのか」という気分があるのだが、でも同時に、読んでいてどうにも違和感を覚えずにいられないところもある。たとえば、まさにタイトルである「滝山コミューン」とか「74年度後期における6年5組の絶対支配が確立した。独裁体制の確立と言ってもよい」(251頁)といった扇情的な言い回しを見ると、「なんだかなー」と思ってしまうのだった。これってほかのみんなにとってはどれほどの強烈な経験だったのだろう?
 たしかに、ボクも、今思い出すと、そして未だに、中学時代の不条理な経験の数々がよみがえり、やはりあれは異常な体験だったと思わずにはいられなくなるのだが、そうはいっても、他の局面では、友人たちとそれなりに楽しくやっていたように思うのだ。また、そうじゃなきゃやってられなかったよ。あるいは、 ボクは6年の夏休み明けに小学校を転校したのだが、そしたら転校先のクラスがやたらと統制がとれていて、「理想のクラスがあるとすればこんな感じになるのかな」と思う一方で、ある種の気持ち悪さを覚えたものだったが、そうした「模範的」な同級生も中学へ入ったらごくふつうの中学生でしたよ。
 だから、彼我の違いは大きいとは言え、11年ぶりの同窓会「で明らかとなったのは、当時の細かな記憶を、中村ら一部を除いてみな喪失しているという事実であった」(276頁)というのはそんなもんじゃなかろうかと思うのだ。そして、それはそれで子どもの健全な感性ではなかろうか。 しょせん教育なんてその程度のものなのだ。
 断っておくが、そこで行われていたことが大したことじゃないとか言いたいわけではない。ただ、 いくつかの学校襲撃事件が学校時代のトラウマを背景にしていたことを思いだしても分かるように、学校はしばしばわれわれに結構な傷を残していってくれる。この本って、何よりもそこに目が向いており(でも、塾へ行かされることには抵抗感はなかったのですね)、またさらにそうしたルサンチマンを呼び起こす効果があるみたい。でも、そこからでてくるものっておそらく教員バッシングのヴァリエーションにしかならないよね。ルサンチマンの連鎖から教育問題を考えてもあまり生産的じゃないような気がしてしまうのだ。
 また、もう一つ気になるのは、これって学校だけの問題だったのだろうか?全共闘世代は教員にばかりなったわけではない。ふつうのサラリーマンにもなったのだ。それは一般に「モーレツ・サラリーマン」として語られている。だとすれば、職場でも同じようなことがかたちを変えて起こっていたというのはありそうな話だ。たとえば、実際のところ、イジメがひどいのは学校よりも職場であることは暗黙の常識だったりするし。「政治の季節」はどこでどのように継続したのだろうか?

滝山コミューン一九七四

滝山コミューン一九七四