「理想」の教育(?)

 教職用科目の課題だとかで学生にインタビューされる。こんなことまず尋ねられることがないので、答えたことを整理しなおしてメモ。

あなたの教育理念はなんですか?
 えっ。そんなものはないよ。自分がこれまでやってきたことがあるなかで、なんらかの科目の担当を任され、一定の学生を相手にしなければならなくなれば、それにあわせて自分に期待されることが何なのかを考えざるをえなくなるし、そのなかで自分がやりたいあるいは面白いと思えるものをやるしかない。さしあたりは、世の中で起こっていることについて、自分のアタマで考えたい学生、あるいはそのように考えたいと思うようになるかもしれない学生に、考えるきっかけを提供したり、筋道だってものごとを考えるとはどういうこと示したりすること。それが面白いと思ってもらえればなおよい。

そのためにしている授業の工夫は?
 講義は、ただ覚えるべき知識を提供するのではなく、ある問いを立て、それにたいする考察をすすめる物語を構成して、なるべく具体的な事例を挙げながら、その問いの答えを導き、関連する諸問題について検討を加えていくようにしている。
 また、シラバスなどで示した講義概要とは別に、日常の中で起こったトピックのなかで自分が気になるものを取り上げ、それに対する自分なりの見解を述べている。仕事柄、自分たちは日々起こっている社会現象について説明を与えることができなければならないと思うし(場合によっては間違っているかもしれないけど)、また、時事的なトピックを取り上げることが学生に考えるきっかけを提供するよい機会になるかもしれないと思うから。

あなたにとって恩師とは誰か?
 中学時代、学校にはあまりよい思い出がなく、当時教師はむしろ敵という感じだった。そんなせいもあってか恩師という言葉がどうもしっくりこない。もちろん、いろんなところで刺激を受けたり影響を受けてきたりした人はいるけれど、恩師という感じではない。まあ、自分がこんな道を歩むことになったことについては、学部のゼミの指導教員が大きいかもしれない。

教師を続けてきて変わったことは?
 最初の頃は、学生時代の退屈な講義を思い出して(あまり出なかったが)、あれだけは避けたいと思っていたけれど、最近は単純にそのようには考えなくなった。そもそも講義なんてすべてがすべて面白いはずもないし、オーソドックスな講義というのもそれはそれでまた大切だと思う。また、こちらの努力や工夫といったことが学生の誰にでもストレートに伝わるわけでもないのだから、ただ力を入れてやっていればいいというものでもないと思うようになった。

あなたにとって理想の授業とは?
 えっ。僕らは仕事として日々講義を続けていかなければならない。なかには体調が悪いときだってあるし、準備不足のときもある。また、自分でもうまくしゃべれたと思うこともあれば、そうでないときもある。しかも、そうした自分の評価と学生の評価が一致するときもあれば一致しないときもある。ふだんの講義とはその程度のものなのだ。そんななかで講義に改善の余地があると思えば、もちろん、それを改善していくことになる。それは当然のことだし、それを理想と呼ぶことができるならそれが理想になるのかもしれない。だけど、そうした日々の営みを離れたところで理想の授業について考えることに意味があるとは思えない。

 そんなわけで、尋ねてくれた学生には悪いが、答えはどれもすかしたものになってしまった。たとえば、どんなカリキュラムを作ればいいかみたいなもっと地を離れた話になれば、理想とか理念といった言葉が働く余地もまだあるとは思うが、日常的に行われる具体的な活動、それも相手のある活動にこうした言葉は馴染まないように思うし、そこに無理に適用するとかえって恐ろしいことが生まれてくるような気もする。そもそもストレートに答えてくれる人なんているのかな。また、いるとすればどんな人なんだろう?ボクみたいな反応も込みだというなら話は別だが、こんなこと尋ねさせてどうするんだろうという思いがぬぐえなかった。