場所の記憶と蝉

Talpidae2007-07-29


 とある所用があって福岡へ行ったのだが、空き時間ができたので子どもの頃に住んでいた西新周辺へ行ってみることにした。おおよそ28年ぶりということになる。掘り返すたびに遺跡やなんやがでていつまでたっても完成しなかった地下鉄にのって天神から西新へ行ってみたら、これがはやいはやい。で、降りてみたらびっくり。西新パレス(という建物があるのだ)の周辺は、当の西新パレスをのぞくと昔の面影を残しているものがまったくない。
 そこから、昔住んでいたあたりへ歩いてみても同様。とにかくマンションだらけ。私が住み始めた36年前、アパートの周辺にはまだ田んぼが残っており、近所に高層マンションなんかなかった。そのうちだんだんと田んぼがつぶされて、ひとつふたつ10階建てぐらいのマンションが建てられると、どんな眺めなのかと試しに登りにいってみたりしたものだった(そのマンションはまだ残っていた)。それがこんな感じ。かつて住んでいた社宅のあった場所へ行ってみたらそこも見知らぬマンションになっていた。
 それでも、昔の面影を残している場所がピンポイントで残っていて、友だちの家やよく行ったあるいは行かされた病院も発見。商店街も小規模になって残っていた。当時通っていた小学校にも行ってみたら、丁度、選挙の投票日だったので学校のなかをうろついても文句を言われずにすんだ。当時は学校って出入り自由だったのに。
 こうして記憶に残る場所を歩いてみて面白かったのは、なんだかそれが自分が記憶している場所のミニチュアのように見えたことだった。通学時に歩いた小路やバス通りはこんなにも狭かったろうか?学校やプールへ行くのに随分と歩いた気がしたものだが、それもいま歩くとあっという間に辿り着いてしまう。こんなに近かったっけ?当時、登るのに難儀した壁だって随分と低く見えた(子どものとき、高い壁に上ったり、そこから飛び降りたりできるということは、なぜかとても大切なことだったのだ)。こっちの身体が変わっているからだろう。背丈だけでも、向こうを離れてから20センチはのびているはずだ。
 というわけで、28年ぶりの西新を歩くのはとても不思議な経験だった。当時遊んだ場所にもっといろいろと行ってみたかったのだが時間切れ。それは、次の機会、老後の楽しみにでもとっておくとしようか。
 そんな感じで夜遅く名古屋に戻ってきたら、自宅近所の歩道を小さな物体が動いているのに気づいた。よくみたらセミの幼虫だった。もちろん、抜け殻じゃないセミの幼虫を見るのは生まれて初めて。こんなところに出てくるの?今晩ずっと見ていたら成虫になるところを見られるのだろうけど(見たい)、蒸し暑いし、草臥れてるし、翌日東京出張だしということでさすがにあきらめた。