「幽閉者(テロリスト)」

 足立正生といっても分かる人は少ないのかも知れないが(と書く私自身『赤P』ぐらいしか見たことないのだが)、彼の35年ぶりの新作『幽閉者(テロリスト)』がかかったので見てきた。決して見やすい映画ではない。幽閉下の拷問シーンなんか見ていてこっちも苦しくなるし、予算の制約もあるだろうけど、とても観念的なつくりで、外国人らしからぬ外国人がでてくるし、牢獄のなかにはブランキ、バクーニンネグリを思わせる人物が現れ、主人公Mの姉は重信房子らしき女性と一人二役(荻野目慶子)ときた。
 主人公Mのモデルは日本赤軍岡本公三、いわゆる「リッダ闘争」の「英雄」である。彼を拘束するのはイスラエル政府だ。しかし、こうした背景的な知識がどれほど意味を持つのかはよく分からない。映画ではそうしたことがはっきり描かれていないからだ。そもそもロッド空港での襲撃場面は直接描かれないし、ろくにパレスチナの民衆も出てこない。つまり、そこがどこかはさして重要なことじゃない。そして、ボク自身この映画を見ながら思い出していたのは、なぜか『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』のことだった。不条理な空間のなかで膨らんでいく不条理な妄想。実際、あれだってテロだ。
 この映画、幽閉者と書いて「テロリスト」と読ませる。素朴に考えれば、テロリストとはMのことだろう。だが、映画のなかでテロを行使するのはMを幽閉し拷問を加える国家の方だ。ところで、国家に幽閉されているのは誰なのか?たとえば、アルチュセールは、家族や学校を国家のイデオロギー装置だと呼んでいた。こうしたイデオロギー装置のなかでわれわれは国家や資本主義を再生産する主体になっていくというのである。
 Mの幽閉先は単に監獄ではない。収監されたMには教育と称して様々な暴力、拷問が加えられる。Mの肉体に刻印されるこの様々な暴力はMの自己を突き破り崩壊させようとする。このとき、痛みを伝えてくるMの肉体はもうひとつのMの牢獄と化すだろう。幽閉され、攻撃されているのは、なによりもMの内面だ。すでに、Mは何者でもない。Mは襲撃を前に他の二人と一緒にパスポートを破り捨て無名の戦士として闘争におもむく。自爆に失敗した幽閉下では人間としてすら扱われていない。「オレがオレでなくなっていく」。このいつ果てるともしれない極限状況にあってどう闘っていけばいい。
 そんなとき、ブランキやバクーニンが現れては問いかける。「君の原点は何だ?」。「自分の好きなようにやればいい」と。相手がおかしいんだから、自分自身がまともでいようとする必要はない、と*1。たとえば、最後に人質交換で表へ出るMは、仲間のいる根拠地に戻るのだが、Mには仲間たちが幽閉されているようにしか見えない。Mたちは林檎の花が咲くなか、闘いへとおもむきその花を血で染めた。そして、監獄のなかでMを正気を取り戻させたのは赤い林檎だった。だが、戻ってきた根拠地の林檎はレプリカになっている。そこは自分が選んだ場所ではない。
 過剰に相手と向き合ってしまうとき、自分が相手と似たものになってしまうということがある。たとえば、学生運動が暴力的になっていくきっかけは、警察からの暴力だったとも言われている。また、セクト同士の内ゲバの増幅だってそうだ。自分を相手にあわせて変容させ、それにとらわれてしまうこと、それは、結局、自分が幽閉されていくことに等しいだろう*2
 かつて日本赤軍は革命の根拠地=原点を求めてアラブへやってきた。つまり、ここではないどこかで新たな可能性を開こうとしたのだ。しかし、足立がこの映画で描いていくのは、幽閉されている外側などないということだ。監獄のなかで浮かんでくる幻想や幼年時代の思い出は、そんなどこかなんてないというところにいきつく。残るのは自己の崩壊(狂気)と裏腹の世界。じゃあ、どうする?
 最後の最後で、Mが手榴弾を持って選び直し、夢想するのは、監獄のなかだ。それはまた、Mが「テロリスト」であることを選び直すということでもあるだろう。Mが監獄で「解放、解放」と叫ぶとき、その解放先はどこにあるのか?それは、そこにある。ここにあって「テロリスト」であること、引きこもり常軌を逸した妄想を描いていくこと。どうも話はそんなところに落ち着くようだ。その終わりは、とてもポジティブであるように思える。
 あとから購入した企画本のなかで、足立はこんなことを述べていた。

「自分を守るために狂気を選ぶときのように、ひきこもりというのは自分を守るためであり、自分をそこからどう出発させていくかって準備をしているんだと思います。その中で自傷とかいろいろなことをやってるわけだけど、結局、逃げられない自分というものからスタートしようと思えばいいだけのことであって、そこへ到達するためにはこちらも狂気の中に入って対応するほかないんです」(32頁)。

 やっぱりそうなのか。ただ、『コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー』を思い出していたボクは、見終わってそこまでポジティブになれるのか判断がつかずにいた。

幽閉者(テロリスト)

幽閉者(テロリスト)

*1:「原点」という言葉が気になる方は、さしあたり、谷川雁『原点が存在する』、滝沢克巳『人間の「原点」とは何か』、その批判として田川建三『批判的主体の形成』あたりをお読み下さい。

*2:ちなみに、G・ベイトソンはこれは「シンメトリック」な関係と呼んでいる。