正しく負けるために−『僕たちの好きだった革命』

 なぜか今月は芝居づいていて、昨日は『僕たちの好きだった革命』を見てきた。仕事場から直行でちょっと遅れていったのだが、2階は結構空席あり。でも、話が話なのでけっこう入り込んでみてしまった。これも68年もの。69年の学園闘争で機動隊と衝突して負傷し意識不明になった中村雅俊演ずる高校生山崎義孝*1が、30年後に意識を回復して同じ高校に復学する。すると当時の先輩は教頭になっており、当時の同級生はいまのクラスメート未来(みく)の母親になっている。山崎にしてみれば、生徒たちは抑圧されているというのにそれを抑圧として感じていない。学校に戻った山崎と他の生徒の世代差が笑いを誘う。だが、そんな山崎が文化祭の企画問題を端緒に何人かのクラスメートともう一度学園闘争を組織することになる。
 話が話だというのは、ボクが68年問題に引っかかっているということもある。それに早稲田大学で起こった学園祭中止や学館問題を思い出させるというのもある。だが、それ以上に、頭髪検査とか、服装検査とか、自分の中学時代の経験が重なってしまうのだ。ボクは絶対に中学校時代の不条理を忘れない。そういえば、高校のときに国語の時間に中学時代の思い出を書けと言われて、みんなで自分はどんなときに殴られたかで盛り上がってしまい、教師が呆れていたことがあったっけ。この話も、学生運動と言いつつも、クラスの文化祭の企画が教員に却下されるという筋立てで(そもそもボクが通った中学には文化祭なるものが存在しなかったのだが)、こちらのツボにはまるのだ。脚本を書いて演出もした鴻上尚史自身が、学生運動というより管理教育世代に属するから、きっと彼も同じものを見ているのだと思う。
 しかし、同時にボクの頃ならまだ少しは残っていたものがほとんど根こそぎにされてしまっているんだなとも感じた。この筋書きでは、学校はかなり抑圧的なのだが、それでも、自分の頃を比べれば、学校はよほど拘束がなくなっているといっていい。そもそもそう簡単に教師は生徒をなぐれない。でも、芝居を見ながら思うに、拘束が少なくなっても、それで自分たちが自由になるかというと必ずしもそうじゃないと改めて気づかされた。何よりもそれを感じさせたのは、中村雅俊が「だってクラスの仲間じゃないか」というと他の生徒がそれに驚くことだ。そう、クラスは連帯の単位ではないのである。
 それで思い出したことがある。10年以上前になるが、教育実習で母校へ行ったとき(これは高校の方)、ちょうど合唱祭にぶつかって、クラスの練習や合唱祭そのものにもつきあったのだが、そのとき自分の知っている合唱祭とあまりにその風景が違っていることに驚いたものだ。まず、さすがに本番にはあらわれたのだが、クラスの練習に相当数の生徒が集まらない。僕らの頃も、確かに練習にこないヤツが一人や二人いたが、それでも大半はさして乗り気じゃなくても練習にはつきあったものだ(あとから、考えてみるとこんなことをする機会はその後はないのだ)。まあ、クラスでやってるわけだから。でも、クラスはもはやそうした義理をたてる単位じゃないらしい。それなのに、本番の合唱祭はやたらと運営側(合唱祭委員会)がお笑いに走る楽しい催しになっているのだ。
 
 合唱祭でクラスに義理立てする必要がないとすれば、それはその分だけみんな自由になったと言えるのかもしれない。しかし、それは裏を返せば、その分クラスには自分を支えてくれる仲間がいないということでもある。こんな状況で教員が管理的な体制をしけば、さしたる強権を発動しなくても、簡単に生徒はなびくんじゃないだろうか?また、そんな状況でイジメが起こったとしたらどうだろう?おそらく誰も助けてはくれまい。もし自分が何かに不満を抱いたとしても、それに共感してくれる誰かを見つけられないとすれば、自分がそれを声に出すのもそれだけ難しくなる。あえてそんなことをするよりはみんなと同じことをした方が無難だ。連帯の基盤を見いだすことが難しくなればなるほど、それだけひとりひとりが自由にふるまうこともまた難しくなる(これは学校だけの話ではない)。
 そんな時代に復学してクラス、ひいては生徒の連帯を信じる山崎はドン・キホーテだ。そして、もちろんそれは裏切られ、結局は機動隊を導入した学校当局に破れるのだが、問題はそこにはない。問題は、未来を信じて正しく負けることにある。「かつてビートルズを聞けば不良になると言われたのに、今はそんなことはない。自分たちが正しいと信じることをつらぬけばやがてそれが正しかったということが明らかになる」。だが、そのためには正しく負けなければならない。
 いま山崎と対峙している元先輩や元同級生だった同級生未来の母親が抱えているトラウマは、内ゲバ化していった学生運動の記憶だ。68年の学生運動は、党派の内ゲバ浅間山荘事件にいきついて、暗い記憶として沈殿している。山崎が30年後に遅れてきて学生運動を反復し、「正しく」負けるとき、学生運動の記憶は思い出したくない暗い記憶としてではなく、後の世代に肯定的に受け入れられ継承される運動の記憶として残っていくだろう。山崎の遅れてきた学生運動は、暗い68年の記憶の書き換えなのだ。
 そんな感じで気分的には持っていかれてしまったし、中村雅俊が「私たちののぞむものは」を歌うわ、面白かったということでは面白かったのだが、主人公が高校生というのはちょっとずるくないだろうか?若松孝二浅間山荘事件に加わった18才の少年を主人公にして映画を撮影中と聞く。この18才はどのように描かれるのだろう?

*1:ちなみに、羽田闘争で亡くなった京大生は山崎博昭といった。さらに当時の東大全共闘議長の名は山本義隆である