ふと思う。もとの議論を検討できる状況にないので断定的な物言いは避けたいが、「認知的不協和の理論」って、少なくとも使いようによってはただの循環論法にしかならないのではなかろうか?そして、実験的状況以外で、この理論を検証できるような条件が整っ…
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