ザ・トライブ
最初は、少年院の盲学校版みたいな感じで自然に見られたし、それが面白くもあった。まあ、新入りが来たらまずは「挨拶代わりに」。で、ポン引き役が女に手を出したらこうなるよ。どこだって同じだよなってみたいな。でも、そのあたりから分からなくなるというか、言葉を介さないことがだんだんすごいことに思えてくる。わたしは手話をしらないし、ましてやウクライナの手話がどんなものかなどまったくわからない。手話は身体的な表現の一部として、われわれが言葉として切り離してしまえる領域から離れてくれない。はたしてあれは愛なのだろうか。いやそもそも、われわれが愛と呼んでいるようなものは言葉で分節できるようなものなのだろうか?ここでは、身振りと手話がいとも簡単に連続し、われわれがいともたやすく言葉に割りふるイメージを裏切り、本来ならわれわれが容易に感情移入できるはずのことがらをもう一度俎上にあげてしまう。しかも、手話に訳はつけなくても、周囲の音は聞こえているからこれはあくまでもこちらの世界の出来事なんだよね。