大衆小説

 『フランス語圏大衆小説辞典』の補遺として書かれたもであり*1、内容も教科書的とはいえ、当然、こちらのよく知らないことばかり、いささか退屈するがさらっと読んで辞書的に読み返していくと有益な本ではないかと思う。ただ、「想像界」「現実界」はやめて。
 大衆小説とは19cにあらわれた文学領域であり、ジャンルではないし、正統的な価値も与えられない。もとをたどれば口承文芸や行商文学や18世紀の貸本(戦後の日本の漫画を想起せよ!)に遡り、その多くは、恋愛小説であり、女性が主たる対象とされている。新聞紙の連載小説から、週刊の分冊形式の連載小説へと発展していく(『萬朝報』!)。興味深いことに、これはロマン主義の勃興期に一致している(天才と英雄)。
 内容は読者のアイデンティフィケーションを可能にするような正義の味方のたぐいが取り上げられる。連載形式は登場人物の復活やシリーズものを可能にし(たとえば、ホームズが一度死んでいることを思い出してみてもよいだろう)、新聞の発展は専属作家の奪い合いをうむ(戦後、日本ではラジオで専属の噺家を奪い合ったものでした)。一方で、新しいジャンルが登場してくるようになり(「司法小説」をはじめ、とりわけ第一次世界大戦後、冒険小説、歴史小説、西部劇、スパイ小説、SF、探偵小説、ハード・ボイルド、探偵冒険小説、幻想文学、ファンタジー、恋愛小説、メロドラマ)、出版社は廉価版を出すようになる。
 本書では演劇との関連はとりあげないとされるが、映画やラジオとの関連については若干述べられている。しかし、口承文学をひとつの起源とすることができるように、そして大衆メディアの発達と並行していることからもわかるように、映画やラジオ、舞台をはじめとする大衆演芸を抜きにして、いわゆる「大文学」との対比だけで論じられると(といっても、明示的に比較して論じられているわけではない)、大衆文学というジャンルならぬジャンルを十分に扱いきれないのではないかとも思う。そういう意味では、まだ「文学」ないしは「小説」であることに足をとられすぎなのではないか。
 日本なら、講談や浪曲、そこから派生した講談本のたぐいと大衆小説の連続性は十分に議論する価値のあるものであろう。そして、いずれも発表媒体の持つ意味の大きさという点では共通性を持っているのではないか。また、発表媒体という観点を考慮することが重要であるなら、媒体が想定する読者/受け手の社会学的な分析がもっとあってもよいように思うが基本的には入門書なのであまりないものねだりをするべきではないのかもしれない。

大衆小説

大衆小説

 

*1:

Dictionnaire du roman populaire francophone

Dictionnaire du roman populaire francophone