『マルクス経済学の形成』

 簡単にではあるが、当時の経済学受容というのが概説されている。それによれば、スミスやリカードの議論は現実を理解すべき法則として理解されていたようだ。
 社会学だとコントの議論から社会の法則を発見してそれを自覚して各人が行動すべしみたいな発想がうかがわれてこわいのだが(なお、コントは経済学にたいして批判的である)、こうしてみれば、それ以前に、経済学の知見を同じように用いて社会を誘導しようとしていた集団が存在していたことがわかるし、社会主義者もこの点では同じ土俵にのっており、マルクス/エンゲルス科学的社会主義を標榜しなければならなかったのは、こうした背景があってのことなのだろうと思う。もちろん、一つの文献からこのような推測を導き出すのは危ういが。
 してみれば、当時の社会では、社会ないし経済のメカニズムについて語るということがそれ自体イデオロギー闘争になりえたし、こうなると、上部構造と下部構造とか言ってられないというか、それ自体が一つのレトリックとして社会的に機能することになりますな。なにせ、現実の矛盾を説明し、古典派の誤りを言挙げしなければ自らの分析の優越性も誇れないのだから。きっと、こういう社会思想史的ないしは知識社会学的な研究はすでに存在しているだろうと思うのですが、とりあえず、今日、杉原本を読んだ感想として。
 

マルクス経済学の形成

マルクス経済学の形成