人生に生きる価値はない

 かどうかはどうでもよいことだろう。この問いはすでに人生を生きるということを前提にしている。「いつか死ぬ」ではなく「いま死にたい」という人に人生というパースペクティヴは必要だろうか。もっとも、このタイトルは編集者がつけたそうであり、解説で野矢さん誉めているんだかけなしているんだかわからない哲学者らしい解説を書いている。こいつはエッセイ集であり、そのせいか以前の2冊よりどこかしら明るい。ちょうど大学を辞める頃に書いたものなのね。退職前に辞められるのはうらやましい。
 「ほとんどの日本人が問題にもしないこと、すなわち他人の生命を守るため、他人の幸福を促進するために嘘をつくこと、それがやはり無性に気持ち悪いのだ。これがくるりと回転して、他人が私の幸福を慮って嘘をつくことも、額がじっとり汗ばむほど気持ちが悪いのだから厄介至極である」(135-6頁)。他人のために尽くすことが自分の存在価値であるかのようにふるまう人ってたしかにいるよね。でも、たいていこういう人の他人のためって実は自分のためだったということが明らかになるときがある。なにかの拍子にとても恩着せがましいことを言い出すのだ。
 ちなみに、なぜか私は幼い頃から人に恩を売られるのが嫌だった。それが比較的平気になっていったのは自分が一定の社会的地位を得てからだな。もっとも、恩着せがましさが人格攻撃にひっくり返ることを身にしみて感じることになったのもそれからだった。ただ、こちらがそれなりの責任を果たしていれば、それに振り回されることはないということだ。だから、やっぱり余計な恩を売られるのはあまり好きではない。つまり、そんなものなのよ。
 

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

人生に生きる価値はない

人生に生きる価値はない