フランシス・ベーコン展

 二度目。私が来た頃はそれほど人もいなかったのに最後は随分人がいるな。ベーコン論はドゥルーズとかいろいろあるから、私は断片的な感想を。ゴッホが好きだというのは何となく分かる気がする。まず、ベーコンの絵においてその肉体は肉体以外の何ものも示さない。たとえば、それを自分の肉体を重ね合わせて理解しようとすることなど到底出来ない。ところで、その肉体それ自体であるが、ゆがめられた肉体はしばしば、その肉体を抜け出していくように見える。実際、カーテンの背後に向かっていくような絵は、肉体から肉体が抜け出すような印象を与える。法王の絵は肉体から感情が抜け出していくような気がする。いくつかの絵は、背景と肉体が、エイメの『壁抜け男』を思い出したけど、一つの物質であるかのようか印象を与えながら、その肉体が液体のようにそこから抜け出していくような、あるいは、ゆがめられたフォルムのなかを感じを与える。また、しばしば枠が描かれているが、この枠は枠としての体をなしていないというか、肉体はその中に閉じ込められているようで、そこからはみ出している。途中から、丸い穴が空いた作品がいくつか出てくるが、この穴は何となく絵におかしみをあたえると同時に、肉体それ自身よりもそこに穿たれた穴の方がリアルな感じがする。なんか晩年の方が素直だな。東京で見た絵のいくつかはなかったような。常設展も面白うござった。
 

美術手帖 2013年 03月号 [雑誌]

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芸術新潮 2013年 04月号 [雑誌]

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感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論

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