自己の修復

 これはよく分かる考え方。

私がここで示唆しておきたいことは、われわれは、おそらく意外な出発点から、つまり、人間環境は生まれたばかりの赤ん坊に対してすら、あたかも自己が形づくられているかのように反応するということを強調することによって、乳児期の最早期から痕跡的自己が存在するという問題の検討に着手する、ということである。用事と用事の自己-対象との間の一次的共感的融合についてある特定の局面で確認できることが、乳児期に自己が存在するという仮説を支持する証拠とされるべきだという考えは、一見したところ、非科学的詭弁以外の何ものでもないとうけとられるかもしれない。決定的な問題はもちろん、幼児と幼児の自己-対象との間の相互共感性というマトリクスのなかで、赤ん坊の持つ先天的可能性と自己-対象の赤ん坊に対する期待とが、ついに一点に収束する時点にかかわっている(77-8頁)。

 ある意味すべては「かのように」進むということですな。じゃないと、逆にいつまでたってもこの「かのように」の世界から抜け出すことができない。
 

自己の修復

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