豊臣平和令と戦国社会

①惣無事令・国分令:豊臣政権の全国統合の基調が、戦国大名間紛争=国境境目相論の解決手段である交戦権の剥奪と豊臣裁判権による解決であった。実際、豊臣政権下で滅ぼされたのは北条氏ぐらいしかいない。この基調は、戦国期を通じて広く諸大名間の錯綜した光線と交話の連鎖の過程で展開されてきたもの総括として形成された。
②喧嘩停止令:その基調がさらに中世村落間紛争=山野水論の解決手段たる喧嘩=自検断権の帰依性にまで及ぶものであり、刀狩りもその一貫として考えられること。
 つまり、いずれも戦国時代の当事者主義、自力次第、自力救済をいわば私戦として豊臣政権が公権力として裁判権を独占していく過程であると考えればよいのだな。
 

豊臣平和令と戦国社会

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